第150自動車化狙撃師団 (ロシア陸軍)

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第150自動車化狙撃師団
創設 1943年9月17日
所属政体 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシアの旗 ロシア
所属組織 ロシア陸軍
部隊編制単位 師団
兵科 自動車化狙撃兵
兵種/任務/特性 機甲戦
所在地 ロストフ州ノヴォチェルカッスク
愛称 イドリツィア
ベルリン
上級単位 第8親衛諸兵科連合軍
主な戦歴 第二次世界大戦
ロシアのウクライナ侵攻
現司令官 オレグ・ミチャーエフ少将 
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第150自動車化狙撃師団(だい150じどうしゃかそげきしだん、ロシア語: 150-я мотострелковая дивизия)は、ロシア陸軍師団第8親衛諸兵科連合軍隷下。

第二次世界大戦ではベルリンの戦いドイツ国会議事堂勝利の旗を掲げた部隊として知られる[1]ロシアのウクライナ侵攻でも旗のコピーを持ち込んでおり、バラクリヤの戦いウクライナ軍に戦利品として没収された[2]

概要[編集]

第二次世界大戦[編集]

第150師団旗
記念切手

1943年9月17日、第二次世界大戦の影響に伴い、赤軍第150狙撃師団としてロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(現ロシア)で創設された[2]

同月から独ソ戦に投入され、プスコフ州解放、ドイツベルリン攻勢に参加して枢軸国に勝利し、2等スヴォーロフ勲章、名誉称号「イドリツィア」、「ベルリン」を授与され、1946年12月に解隊された。

ドンバス戦争[編集]

2016年12月、ドンバス戦争の影響に伴い、ロシア陸軍第150自動車化狙撃師団としてロストフ州で再編された[2]

ロシアのウクライナ侵攻[編集]

東部・マリウポリ戦線[編集]

2022年2月24日から、ロシアのウクライナ侵攻では、第1軍団隷下の第3独立親衛自動車化狙撃旅団、第100独立親衛自動車化狙撃旅団、スパルタ大隊と合同でドネツク人民共和国から攻勢を開始し、3月中旬に東部ドネツィク州ヴォルノヴァーハを占領した[3]

2022年3月中旬、東部ドネツィク州マリウポリ地区で攻勢を開始し、オレグ・ミチャーエフ師団長が戦死したが、クリミア共和国から進軍してきた友軍と合流してマリウポリを包囲し、5月中旬にマリウポリを占領した[3][4]

東部・セベロドネツク戦線[編集]

2022年5月中旬、東部ルハーンシク州セヴェロドネツィク地区に再配置され、第5諸兵科連合軍第58諸兵科連合軍第1軍団第2軍団、第90親衛戦車師団と合同で攻勢を開始し、部隊は壊滅したが、7月上旬までにセヴェロドネツィクリシチャンシクを占領してロシア軍はルハーンシク州全域を占領した[5][6]

2022年9月、連戦で損害が大きかったため後方に移動し、占領下の北東部ハルキウ州イジューム地区バラクリヤに配備されていた[2]

東部・アウディーイウカ戦線[編集]

2023年1月中旬、東部ドネツィク州ポクロウシク地区に再配置され、第42親衛自動車化狙撃師団第1軍団隷下の第5独立自動車化狙撃旅団と合同で攻勢を開始したが、マリンカで撃退された[7]。10月中旬には第20親衛自動車化狙撃師団と合同で攻勢を開始し、マリンカを占領した[8]

東部・バフムート戦線[編集]

2024年3月、激戦地の東部ドネツィク州バフムート地区に再配置され、第98親衛空挺師団第11独立親衛空中強襲旅団と合同で攻勢を開始した[9]

編制[編集]

  • 師団司令部(ノヴォチェルカッスク
  • 第102自動車化狙撃連隊
  • 第103自動車化狙撃連隊
  • 第68親衛戦車連隊
  • 第163親衛戦車連隊
  • 第381親衛砲兵連隊
  • 第993防空連隊
  • 第224独立対戦車砲大隊
  • 第174独立偵察大隊
  • 第221独立工兵大隊
  • 第258独立通信大隊
  • 第152独立補給大隊
  • 第195独立衛生大隊
  • 整備中隊
  • 電子戦中隊
  • NBC防護中隊
  • 無人航空機中隊

ギャラリー[編集]

脚注[編集]