秋山祐徳太子
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(秋山祐徳から転送)
秋山 祐徳太子(あきやま ゆうとくたいし、1935年3月22日[1] - 2020年4月3日)は、日本の現代美術家[2]。本名は秋山 祐徳(あきやま すけのり)で、雅号は聖徳太子をもじって付けた。1970年代の東京都知事選挙へ出馬したことでも知られている。見世物学会理事。
経歴
[編集]- 1935年 東京日暮里生まれ[3]。都立工芸高図案科(現デザイン科)に入るも空手部部活動に精を出す。
- 1960年 武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)彫刻科卒業[4]。卒業後は工業デザイナーとして大手電機メーカーに勤務したのち、前衛芸術家に。
- 1965年 岐阜アンデパンダン展に自分自身を出品。これ以後「ダリコ」をはじめ、ポップハプニングと称するパフォーマンスを展開[5]。
- 1973年 初の彫刻展を開催。以後、ブリキによる彫刻作品を次々と発表。
- 1986年 ビデオ・デ・パップル「俺が秋山祐徳太子だ!」(インタビュアー:加藤よしこ、VE:目黒 子、ディレクター:樋川恵一)。
- 1994年 池田20世紀美術館で「秋山祐徳太子の世界展」を開催。
- 1999年から2003年まで札幌大学文化学部客員教授。赤瀬川原平・高梨豊と「ライカ同盟」で活動していた。
- 2020年 老衰のため神奈川県座間市の病院で死去[4]。85歳没。
パブリックコレクション
[編集]立候補歴
[編集]- 1975年(昭和50年)東京都知事選挙 無所属 3101票 落選 16人中5位 供託金没収
- 1979年(昭和54年)東京都知事選挙 無所属 4144票 落選 13人中7位 供託金没収
選挙に立候補した際の選挙ポスターが国立国際美術館などに収蔵されている[6]。2002年には著書『泡沫桀人列伝―知られざる超前衛』を出版。落選後も自ら「泡沫のソムリエ」と称した[7]。
著書
[編集]単著
[編集]- 通俗的芸術論(土曜美術社、1985年)
- 泡沫桀人列伝(二玄社、2002年)
- ブリキ男(晶文社、2007年)
- 天然老人(アスキー・メディアワークス、2008年)
- 恥の美学(芸術新聞社、2009年)
- 秋山祐徳太子の母(新潮社、2015年)
共著
[編集]- (西部邁)ポップコン宣言 偽りの戦後史を書き換える(光文社、カッパ・サイエンス、1995年)
- (赤瀬川原平、高梨豊)ライカ同盟NAGOYA大写撃!(風媒社、1996年)
- (赤瀬川原平、高梨豊)ライカ同盟 東京涸井戸鏡(カレイドスコープ)(アルファベータ、2004年)
TV出演
[編集]脚注
[編集]- ^ 『秋山祐徳太子の母』(新潮社、2015年)
- ^ “秋山祐徳太子さん - 産経ニュース”. www.sankei.com. 2019年2月10日閲覧。
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2020年4月3日). “動くポップ・アートなど展開 秋山祐徳太子さん死去”. 産経ニュース. 2020年4月3日閲覧。
- ^ a b “美術家の秋山祐徳太子さん死去 東京知事選にも、85歳”. 共同通信社. (2020年4月3日) 2020年4月3日閲覧。
- ^ 秋山祐徳太子が逝去。「ポップ・ハプニング」や都知事選立候補などパフォーマンスを展開2020年4月3日 美術手帖
- ^ 秋山祐徳太子独立行政法人国立美術館 所蔵作品総合目録検索システム
- ^ 秋山祐徳太子『泡沫桀人列伝―知られざる超前衛(2002年 二玄社 ISBN 4544020379)前書きに「泡沫のソムリエ秋山祐徳太子が愛をこめて綴る、純正泡沫烈士50名の恐れ入る人生」とある。
- ^ “秋山祐徳太子”. 西部邁ゼミナール 放送アーカイブ. 2017年2月26日閲覧。
外部リンク
[編集]- 秋山祐徳太子+しりあがり寿 ブリキの方舟
- 秋山祐徳太子と東京都知事選挙1975年の都知事選の立会演説会の音源と映像資料