秀錦啓光

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秀錦 啓光(ひでにしき ひろみつ、1929年9月17日 - )は、春日野部屋に所属した元力士。本名は飯倉 洋(いいくら ひろし)。神奈川県川崎市出身。177cm、88kg。最高位は東十両8枚目。得意技は右四つ、出し投げ。

経歴[編集]

1947年11月場所に初土俵、1955年1月場所に十両昇進。翌場所に幕下陥落したが、再十両を果たしてからは19場所連続で在位した。1959年5月場所に廃業。

主な成績[編集]

  • 通算成績:265勝253敗63休 勝率.512
  • 十両成績:132勝153敗15休 勝率.463
  • 現役在位:45場所
  • 十両在位:20場所
  • 各段優勝
    • 幕下優勝:1回(1954年9月場所)
    • 三段目優勝:1回(1953年9月場所)

場所別成績[編集]

秀錦 啓光
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1947年
(昭和22年)
x x x x 新序
3–2 
x
1948年
(昭和23年)
x x 西序ノ口5枚目
4–2 
x 東序二段20枚目
4–2 
x
1949年
(昭和24年)
西三段目29枚目
6–6 
x 西三段目19枚目
7–8 
x 東三段目20枚目
10–5 
x
1950年
(昭和25年)
東三段目筆頭
8–7 
x 西幕下25枚目
6–9 
x 東三段目3枚目
8–7 
x
1951年
(昭和26年)
西幕下26枚目
9–6 
x 西幕下17枚目
6–9 
x 西幕下20枚目
6–7–2 
x
1952年
(昭和27年)
西幕下22枚目
9–6 
x 東幕下16枚目
休場
0–0–15
x 東幕下28枚目
5–10 
x
1953年
(昭和28年)
東幕下31枚目
休場
0–0–15
西三段目6枚目
休場
0–0–8
西三段目18枚目
6–2 
x 東三段目2枚目
優勝
8–0
x
1954年
(昭和29年)
西幕下28枚目
5–3 
西幕下18枚目
6–2 
西幕下9枚目
5–3 
x 東幕下4枚目
優勝
7–1
x
1955年
(昭和30年)
東十両17枚目
5–10 
東幕下筆頭
5–3 
西十両17枚目
9–6 
x 東十両10枚目
6–9 
x
1956年
(昭和31年)
東十両13枚目
9–6 
東十両8枚目
5–7–3[1] 
西十両12枚目
6–9 
x 西十両16枚目
7–8 
x
1957年
(昭和32年)
東十両17枚目
7–5–3[2] 
西十両14枚目
5–10 
東十両19枚目
7–8 
x 西十両20枚目
9–6 
西十両14枚目
8–7 
1958年
(昭和33年)
東十両13枚目
6–4–5[3] 
西十両13枚目
9–6 
東十両9枚目
6–9 
西十両11枚目
7–8 
東十両12枚目
6–9 
東十両19枚目
8–7 
1959年
(昭和34年)
東十両17枚目
6–9 
東十両23枚目
1–10–4[4] 
東幕下15枚目
引退
0–0–8
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 飯倉 洋(いいくら ひろし)1947年11月場所 - 1949年5月場所
  • 多摩昇(たまのぼり)1949年10月場所 - 1953年5月場所
  • 秀錦 啓光(ひでにしき ひろみつ)1953年9月場所 - 1959年5月場所

参考文献[編集]

  • 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709

出典[編集]

  1. ^ 両膝関節捻挫により3日目から途中休場、7日目から再出場
  2. ^ 急性大腸炎により初日不戦敗、5日目から出場
  3. ^ 膝関節捻挫により初日から休場、6日目から出場
  4. ^ 左膝関節捻挫・坐骨神経痛により11日目から途中休場

関連項目[編集]

外部リンク[編集]