石川総承

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
石川総承
時代 江戸時代後期
生誕 寛政8年12月11日1797年1月8日
死没 慶応元年閏5月26日1865年7月18日
改名 重之助
戒名 清心院殿日章総承大居士
墓所 東京都北区田端の大久寺
官位 従五位下、播磨守・中務少輔
主君 徳川家斉
常陸下館藩
氏族 石川氏
父母 父:石川総般、母:某氏
養父:総親
兄弟 娘(水野元貞室)、総承総安
娘(石川総功室)、娘(石川総集室)
娘(石川成伊室)
正室:阿充(青山幸孝の娘)
総貨、総詮、娘(津田信義継室)

石川 総承(いしかわ ふさつぐ)は、常陸下館藩の第7代藩主。伊勢亀山藩石川家支藩9代。

正室は。子は。通称は重之助。官位は従五位下、播磨守、中務少輔。

経歴[編集]

寛政8年12月11日(1797年1月8日)第5代藩主・石川総般の長男として誕生した。享和2年(1802年)に父が死去したときは幼少であったため、牧野忠精の次男・総親が第6代藩主となった。文化5年(1808年)総親が早世したため、その養嗣子となり第7代藩主として家督を継いだ。しかし、未だ幼少であったため、家督相続当初は重臣の三浦備前守が執政となり藩を運営した。

成人してからは徳川家重の50回法要を務め、さらに心学に傾倒して大島有隣に弟子入りするなどした。天保7年12月5日(1837年1月11日)病を理由に致仕し、長男・総貨に家督を譲り隠居した。慶応元年閏5月26日(1865年7月18日)死去した。