相木昌朝

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相木昌朝
時代 戦国時代
生誕 永正13年(1516年
死没 永禄10年(1567年)?
改名 昌朝→常喜(法名)
別名 阿江木昌朝、依田正朝、通称:市兵衛
官位 能登守
主君 大井貞隆武田晴信
氏族 依田氏庶流相木氏
男子、市兵衛真田昌輝

相木 昌朝(あいき まさとも)は、戦国時代武将信濃国佐久郡の国衆・阿江木依田氏の一族。佐久郡相木城主。佐久郡の岩村田大井氏の宿老か。のち甲斐国の武田氏家臣。「依田能登入道常善」は同一人物か。

略歴[編集]

家系は清和源氏の流れを汲む依田氏の庶流・阿江木依田氏の一族。信濃長窪城主・大井貞隆の家老だったという(諸説あり)。『甲陽軍鑑』によれば昌朝は天文11年12月10日に弟を人質として武田氏に差し出し出仕したとしているが、『高白斎記』によれば天文12年(1543年武田晴信が侵攻した際に大井貞清が敗北しており、昌朝の出仕も同年であると考えられている。晴信からの信頼も厚く、帰参直後から騎馬80騎持ちで田口城代に任じられた。永禄4年(1561年川中島の戦いでは別働隊として参加している。戦後は善光寺平の治安維持を任せられた。善光寺横山城の麓に居館を構えたと伝えられ、その付近を通る旧北国街道には「相木通り」の名が残る。

真田幸隆とは同じ信濃先方衆として親交を深めていたこともあり、長女が幸隆の次男昌輝に嫁いでいる。また、昌朝の次男市兵衛山県昌景の娘婿となっている。

子の市兵衛は常林と号しているが、別史料に依田昌朝とあり、親子の事績が混乱している。

常林は天正壬午の乱後北条氏に仕え、小田原征伐の際には佐久郡白岩城で挙兵したが、真田昌幸・前田利家らの北国軍に敗れた。

登場作品[編集]