益富政助

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ますとみ まさすけ

益富 政助
生誕 (1878-07-07) 1878年7月7日
日本の旗 日本熊本県人吉市
死没 (1976-04-16) 1976年4月16日(97歳没)
日本の旗 日本
墓地 豊島区雑司ヶ谷霊園
国籍 日本の旗 日本
出身校 東山学院明治学院
職業 巡回伝道者
父・益富熊平、母・さい
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益富 政助(ますとみ まさすけ、1878年明治11年〉7月7日 - 1976年昭和51年〉4月16日)は、日本キリスト教巡回伝道者。鉄道基督教青年会の創設者である。

経歴[編集]

幼少期・洗礼[編集]

1878年(明治11年)に熊本県人吉市の農家に、益富熊平・さいの8男として生まれる。

1897年(明治30年)に長崎にある長老派ミッションスクール東山学院に入学する。日高善一都留仙次らが同級生だった。

1899年(明治32年)に日本基督長崎教会で洗礼を受ける。

神学生[編集]

献身を志して、1903年(明治36年)明治学院神学部入学する。在学中に、日露戦争が勃発YMCA軍隊慰問使として、本多庸一中田重治らと満州で軍隊の慰問を行う。

活動[編集]

1907年(明治40年)に東京キリスト教青年会に勤務する。翌年、1908年(明治41年)に鉄道基督教青年会を設立する。

1911年(明治44年)には廓清会を設立して、江原素六島田三郎安部磯雄山室軍平、伊藤秀吉と共に禁酒運動を行う。

1933年(昭和8年)の日本ホーリネス教会分裂事件の際には、中田重治から、日匹信亮らと共に調停の依頼を受ける。1936年(昭和11年)にホーリネス和協分離にこぎつけることができた。

1948年(昭和23年)に鈴木春と協力して、日本家庭聖書会を設立して、家庭への聖書の無料配布に努力した。1968年に第5回キリスト教功労者の表彰を受ける[1]

著作[編集]

著書[編集]

  • 『此罹災者を救え』廓清会本部〈廓清叢書 第2巻〉、1911年11月。 NCID BB02951627 
  • 『新聞伝道意見』東京協同伝道新聞伝道委員、1916年10月。 NCID BA41194874 
  • 『思想国難と鉄道職員の覚悟』鉄道青年会本部、1928年11月。 NCID BN15607061全国書誌番号:44001202 
  • 『公娼制度廃止論』廓清会婦人矯風会廃娼聨盟、1929年3月。 NCID BN05976990 
  • 『節約読本』鉄道青年会、1929年12月。 NCID BA40580715全国書誌番号:47005309 
  • 『私の歩んできた道』益富政助先生鉄道奉仕55周年記念会、1963年11月。 NCID BA51662888 
  • 内藤多喜雄編 編『伝道第一の人益富政助先生 遺稿と追想録』益富政助先生遺稿と追想録刊行会、1978年7月。 NCID BN10048381 

編集[編集]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 『中田重治伝』1959年
  • 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年