白山城 (安芸国)

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白山城
広島県
城郭構造 山城
築城主 平賀弘保
築城年 文亀3年(1503年
主な城主 平賀弘保等
廃城年 不明
遺構 曲輪、土塁
指定文化財 県指定史跡

白山城(しろやまじょう)は、安芸国白市(現・広島県東広島市白市)に築かれた、戦国時代日本の城山城)。

歴史・沿革[編集]

文亀3年(1503年)に平賀氏当主の平賀弘保は、居城であった御薗宇城の防備に不安を感じ、白山城を築いて居城とした。しかし、この城も堅城とまではいかず、白市を眼下に望み経済的には有利な城であったが、近隣に滝山城、新開城等の支城を整備して、最終的には頭崎城を築くまでに至った。

平賀弘保の息子、平賀興貞は頭崎城に入ったが、後に大内氏尼子氏との対応で意見が異なり、親子で度々争った。後に毛利氏の介入によって親子の争いに終止符を打ち、家督を平賀隆宗に継承させた。

城は頭崎城が完成後も維持された。廃城年は不明。

概要[編集]

白市の街を見下ろす標高314m(比高130m)の城山に築かれた山城で、最高所の曲輪は三段に分かれており、その周囲を帯郭が取り囲んでいる。この曲輪群から北西・南の尾根上には中小の曲輪が配置されて防備を固めていた。

また、城内には松尾芭蕉の門人志太野坡の高弟で、俳人多賀庵風律寛政5年(1793年)に建てた「鶯塚」の石碑が残る。

城下町白市[編集]

城下には平賀弘保永正2年(1505年)に建立した光政寺があり、一族の木原家の歴代墓所が残る。その木原家は平賀弘保の弟、木原保成を祖とする一族で、初代の保成は慶長5年(1600年)に平賀元相長門国に移住すると、毛利氏を離れて紀伊国和歌山を領した浅野氏に仕えた。その後、この故地に戻って商売を始め、江戸時代初期から酒造業や塩田業を営み、安芸国有数の商家として栄えた。現在でも白市に残る寛文5年(1665年)に建てられた「木原家住宅」は、昭和41年(1966年)6月11日に国の重要文化財に指定されている。

白市は江戸時代に入ると、交通の要衝として栄え、元和3年(1617年)に牛馬市が開かれるようになると、その発展を加速させた。この白市の牛馬市は中国地方の三大市と呼ばれ、伯耆国大山、備後国久井とともに、明治から昭和の戦前にかけて大いに賑わった。

参考資料[編集]

  • 広島県教育委員会『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』

関連項目[編集]