志太野坡

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志太 野坡(しだ やば、寛文2年1月3日1662年2月21日) - 元文5年1月3日(1740年1月31日))は、江戸時代前期の俳諧師。前号:野馬・別号:樗木社・樗子・紗方・紗帽・浅生・無名庵高津野々翁・照笛居士

蕉門十哲の一人とされ、「軽み」の俳風では随一ともいわれた。

元々は両替商の三井越後屋に奉公し、番頭にまで登りつめた。

宝井其角に俳諧を学んだがのちに松尾芭蕉に入門し直接指導を受ける。『続虚栗』で初入集。 孤屋・利牛らと共に『炭俵』を編集した。

元禄11年から14年まで商用で長崎に滞在する。一時江戸に帰るが、翌15年から翌年にかけて本格的な筑紫行脚を開始。 長崎・田代・久留米・日田・博多などに旅寝を重ね多くの弟子を獲得した。 人柄は温厚で社交的、蕉風を上方や九州に普及させた業績は大きい。

代表的な門人に後継者でもあり保護者でもあった湖白亭浮雲、広島地方で活動した多賀庵風律がいる。湖白亭浮雲の妻は諸九尼といい、おくのほそみちを追体験した「秋かぜの記」を著した。


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