頭崎城

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頭崎城
広島県
頭崎城跡.jpg
城郭構造 山城
築城主 平賀弘保
築城年 大永3年(1523年
主な城主 平賀興貞平賀隆保平賀元相
平賀広相
廃城年 慶長5年(1600年
遺構 曲輪、石垣、土塁、竪堀
指定文化財 県指定史跡

頭崎城(かしらざきじょう)は、安芸国高屋保(現・広島県東広島市高屋町貞重)に築かれた日本の城山城)。

歴史・沿革[編集]

戦国時代後半、この安芸国西条の地にも大内氏尼子氏の勢力が伸び、両者の争いが激化していった。大永3年(1523年)6月、大内方の鏡山城が落城した。平賀氏当主平賀弘保は居城であった白山城の防備に不安を感じ、近隣の頭崎山に築城。嫡男の平賀興貞を城主とした。ところが、興貞は父の意向を無視して尼子氏に属し、大内方に味方した弘保と孫の隆宗・広相で争いを繰り広げることとなった。

天文9年(1540年)、大内義隆の命を受けた毛利元就がこの高屋保へと進出、頭崎城を攻略した。敗れた興貞は出家して、平賀氏の家督は興貞の嫡子である隆宗が相続した。平賀隆宗は大内方として活躍するが、天文18年(1549年)に備後国神辺城を攻撃中に死去した。祖父の平賀弘保は家督を平賀広相に継がせようと考えたが、大内義隆の策謀によって平賀氏の家督は小早川氏庶流の義隆の寵童が改名して相続し、平賀隆保と名乗った。

天文20年(1551年)に大寧寺の変で大内義隆が陶隆房(陶晴賢)によって殺害されると、陶方に味方していた毛利元就は、大内方であった頭崎城の平賀隆保を攻めて落城させ、家督を平賀広相に継がせた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、毛利氏が防長移封となると、平賀氏もそれに随行し、頭崎城も廃城となった。

昭和44年(1969年4月28日に県指定史跡に指定された。

概要[編集]

標高504m、比高200mの頭崎山に築かれた城郭で、吉田郡山城に次ぐ規模を誇る広島県内最大級の城郭。城域は東西900m南北600mの広大な範囲に及び、本丸に相当する甲の丸、西の丸、太鼓の段、煙硝の段、稽古場、大将陣等の曲輪群が残っている。

関連項目[編集]

参考資料[編集]

  • 高屋町史
  • 県史跡頭崎城跡案内板