田所秀孝
| 田所秀孝 | |
|---|---|
|
| |
| 基本情報 | |
| 国籍 |
|
| 出身地 | 京都府 |
| 生年月日 | 1950年10月31日(75歳) |
| 騎手情報 | |
| 所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
| 所属厩舎 |
東京・中村広(1971年 - 1977年) 栗東・田所秀雄(1977年 - 引退) |
| 初免許年 | 1971年3月1日 |
| 免許区分 | 平地 |
| 騎手引退日 | 1995年2月28日 |
| 重賞勝利 | 3勝 |
| 通算勝利 | 4152戦292勝 |
| 調教師情報 | |
| 初免許年 | 1995年(1996年開業) |
| 調教師引退日 | 2021年2月28日 |
| 重賞勝利 |
中央11勝 地方1勝 |
| G1級勝利 | 1勝 |
| 通算勝利 |
中央6405戦367勝 地方172戦21勝 |
| 経歴 | |
| 所属 | 栗東T.C.(1995年 - 2021年) |
来歴
[編集]1966年に父・秀雄の厩舎で騎手候補生となり、1969年からは東京・中村広厩舎に所属。
1971年に中村厩舎からデビューし、中野栄治・南井克巳と同期になる[1]。
1年目の1971年は3月6日の中山第4競走4歳新馬・オンワードケイト(11頭中11着)で初騎乗を果たし、5月15日の東京第3競走障害4歳以上200万下・スガワシで初勝利を挙げる[2]。初勝利翌日の16日の東京第6競走4歳300万下では13頭中11番人気のエイプルで平地初勝利と初の2日連続勝利[2]を挙げ、枠連万馬券の波乱を起こす[3]。11月6日の福島第1競走のアラブ系3歳未勝利戦では9頭中9番人気のタマワイチで勝利[4]したが、タマワイチの単勝馬券は無投票(総投票数は1928票)で、単勝式的中者なしとして1票あたり70円を返金するという、いわゆる「特払い」[4]となった。複勝式は2840票中46票の投票も最低人気であったが、中央での特払いはこのレース以降現れていない[5]。秋の福島では特払いを含む6勝[6]を挙げたほか、福島大賞典・デボートターフ(9頭中8着)で重賞初騎乗[7]を果たし、福島3歳ステークスではスガスターで同じ馬主のスガノホマレの3着[8]に入った。
初年度から2桁の15勝をマークし、3年目の1973年、1975年には17勝を挙げるなど、1年置きに2桁勝利を記録[9]。
2年目の1972年には12月29日の中山第11競走4歳以上300万下・メイキョウで同年の最終レースを飾り[10]、1973年には9月16日の函館では初の1日2勝[11]を挙げ、1974年には石神富士雄が弟弟子となる[12]。。
1977年から1979年には3年連続2桁勝利[9]を記録し、1977年11月からは栗東所属となり、父・秀雄の厩舎に移籍。
1977年12月3日の中京第10競走3歳牝馬特別・サンエムジョオーで移籍後初勝利[13]を挙げ、その後はサンエムジョオーの主戦騎手として1978年の牝馬クラシック戦線で活躍[14]。4歳牝馬特別(西)を6番人気で制し重賞初勝利[13]を挙げ、2着に9番人気の関東馬ダークロードが入って枠連万馬券となった[15]。20番枠に入った桜花賞では福永洋一のオヤマテスコとハナ差2着[16]、4歳牝馬特別(東)2着[14]、優駿牝馬ではファイブホープの2着[14]に入った。
1981年には4歳牝馬特別(東)・トウカイマーチでエイティトウショウ・アグネステスコを抑えてカバリエリエースの2着[17]に入り、1983年から1985年には3年連続[9]、1988年から1993年には6年連続で2桁勝利[9]を記録。
1989年と1992年には自己最多の20勝をマークし、1993年のクラシックではアンバーシャダイ産駒アンバーライオン[18]、1994年のクラシックではサクラショウリ産駒サムソンビッグ[19]と共に鹿戸幸治厩舎の管理馬[18] [19]で活躍。
アンバーライオンでは1992年に折り返しの新馬戦を逃げ切り、函館3歳ステークス2着で賞金加算に成功させる[18] [1]。1993年のシンザン記念では逃げるグランドシンゲキの直後を追走する[1]形で先行し[20]、直線で抜け出すと[1]、追いすがるナリタタイシンを振り切って[1]自身15年ぶりの重賞勝利を挙げる。皐月賞では押し出されるように先手を奪い[21]、レースを平均ペースで進行し[21]、単勝70倍超えの16番人気で5着に逃げ粘った[18]。皇太子殿下御成婚奉祝[22]として行われた第60回東京優駿でも1コーナーを回って先手を奪うと[23]、皐月賞に続いて先導役を務め[24]、1000m通過が1分ジャストという緩みのない[23]平均ペースの逃げを打つ[24]。後続を離して逃げ[24]、最後の直線でも残り300m辺りでウイニングチケットに交わされるまで[23]先頭の見せ場を作り、9着に敗れたものの、ステージチャンプ・サクラチトセオーに先着している[25]。
サムソンビッグはメガネスーパーの創業者田中八郎の妻田中由子が所有し、夫妻で経営していた「サムソン牧場」の生産馬であった[26]。きさらぎ賞ではメンバー中唯一、単勝が万馬券となる172.0倍という最低人気で完全に忘れられた存在であり[27]、強力な先行馬が見当たらない中、やや牽制しあう形で1コーナーへ向かい、押し出されるように先手を奪う[26]。「内で控えようと思っただけ」という田所の作戦が結果的にマイペースの逃げを生み[26]、前半1000mは65秒1と驚くほどの[27]超スローペース[26]となる。それでも後続各馬の目標は先頭のサムソンビッグではなく[26]、絶好位置をキープする1番人気マチカネジンダイコにあったため[26]、向正面では2番手以下に2~3馬身のリードがあった[27]。残り600mでマチカネジンダイコが動くと、後続もスパートするが、サムソンビッグは荒れた内で粘る[26]。3コーナー辺りで差を詰めてきた後方勢も並びかけるところまではいかず[27]、ペースが上がることなく直線へ入ると[27]、好位追走も反応が鈍いマチカネジンダイコにかわって外からイイデライナー[27]、さらに大外からタイキデュークが強襲するが[27]、一杯になったサムソンビッグがアタマ差凌ぎ切ったところがゴールであった[26]。中央競馬史上2番目の高配当となる単勝17200円の大波乱を起こすが、サムソンビッグにとって平地での最後の勝利[27]、田所にとっては最後の重賞勝利[28]となった。皐月賞17着・東京優駿18着[19]に終わり、小島貞博に乗り替わった菊花賞15着[19]と結果を残すことはできず、ナリタブライアンと共に三冠皆勤も「あわや逆三冠」と話題になった[29]。
1993年にはサクラロータリー産駒スガノセカイイチで桜花賞指定オープン[30]のチューリップ賞を14番人気でベガの4着と好走し[31]、エリザベス女王杯では15番人気でスターバレリーナ・ユキノビジン・スエヒロジョウオー・ケイウーマンに先着する7着と掲示板外ながら1桁着順を確保[32]。
1993年5月16日の京都第1競走4歳未勝利では16頭中15番人気ウォーターギアで勝利し、単勝18450円、枠連2-6が19560円、馬連4-11は104960円と3種類が万馬券となってファンを驚かせた[33] [34]。
1994年には重賞昇格1回目のチューリップ賞をトウカイビスタで3着[35]に入ったが、7勝[9]に終わる。
1995年には2月16日に同期の中野や柴田政人・杉浦宏昭と共に調教師試験に合格し[36]、最終週の京都では25日の第7競走4歳新馬・スターセレッソ、翌26日の第1競走4歳未勝利・マーチンチェリーを共に勝利で飾って現役を引退[37]。
引退後の1996年に厩舎を開業。1月27日、初出走となった京都競馬場での第3競走は、ヤクモアゲインが4着となる。3月17日に阪神競馬場での第2競走でヤクモアゲインが勝利し、のべ15戦目で初勝利を挙げる。
1998年、アーリントンカップをダブリンライオンが制しJRA重賞初勝利を挙げる。
2007年、函館記念をエリモハリアーが制し同レース3連覇を達成する。
2018年、中山大障害をニホンピロバロンで制してJ・GⅠ初勝利を挙げた。
2021年、2月28日をもって、定年のため調教師を引退。同年6月20日付でJRA裁定委員会外部委員に委嘱される[38]。期間は2年間。
騎手成績
[編集]| 通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 平地 | 274 | 329 | 385 | 4020 | .068 | .150 |
| 障害 | 18 | 19 | 15 | 132 | .136 | .280 |
| 計 | 292 | 348 | 400 | 4152 | .070 | .154 |
| 日付 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 初騎乗 | 1971年3月6日 | - | オンワードケイト | - | - | 11着 |
| 初勝利 | 1971年5月15日 | - | スガワシ | - | - | 1着 |
| 重賞初騎乗 | 1971年10月24日 | 福島大賞典 | デボートターフ | 9頭 | 8 | 8着 |
| 重賞初勝利 | 1978年3月19日 | 阪神4歳牝馬特別 | サンエムジョオー | 14頭 | 6 | 1着 |
| GI級初騎乗 | 1978年4月9日 | 桜花賞 | サンエムジョオー | 21頭 | 3 | 2着 |
主な騎乗馬
[編集]- その他
調教師成績
[編集]| 日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 初出走 | 1996年1月27日 | 2回京都1日3R | 4歳未勝利 | ヤクモアゲイン | 16頭 | 4 | 4着 |
| 初勝利 | 1996年3月17日 | 1回阪神8日2R | 4歳未勝利 | ヤクモアゲイン | 12頭 | 1 | 1着 |
| 重賞初出走 | 1996年9月21日 | 2回函館7日11R | 函館3歳S | シルクマスタング | 8頭 | 5 | 4着 |
| 重賞初勝利 | 1998年3月1日 | 1回阪神2日11R | アーリントンC | ダブリンライオン | 11頭 | 6 | 1着 |
| GI初出走 | 1997年5月11日 | 2回東京8日11R | NHKマイルC | シルクマスタング | 18頭 | 15 | 9着 |
| GI初勝利 | 2018年12月22日 | 5回中山7日10R | 中山大障害 | ニホンピロバロン | 13頭 | 3 | 1着 |
通算成績
[編集]| 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 | 3着以内率 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 中央 | 平地 | 350 | 371 | 366 | 5115 | 6202 | .056 | .116 | .175 |
| 障害 | 17 | 22 | 20 | 144 | 203 | .084 | .192 | .291 | |
| 地方 | 21 | 24 | 21 | 106 | 172 | .122 | .262 | .384 | |
| 計 | 388 | 417 | 407 | 5365 | 6577 | .059 | .122 | .184 |
主な管理馬
[編集]主な厩舎所属者
[編集]脚注
[編集]- 1 2 3 4 5 “1月のライオン~新春の京都で吼えた、とある栗毛馬との思い出~”. uma-furi.com. 2025年11月27日閲覧。
- 1 2 “田所秀孝の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年11月27日閲覧。
- ↑ “4歳300万下|1971年5月16日”. netkeiba.com. 2025年11月27日閲覧。
- 1 2 “3歳未勝利|1971年11月6日”. netkeiba.com. 2025年11月27日閲覧。
- ↑ “3連単で無投票|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI”. www.radionikkei.jp. 2025年11月27日閲覧。
- ↑ “田所秀孝の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年11月27日閲覧。
- ↑ “田所秀孝の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年11月27日閲覧。
- ↑ “福島3歳ステークス|1971年11月21日”. netkeiba.com. 2025年11月27日閲覧。
- 1 2 3 4 5 “田所秀孝”. netkeiba.com. 2025年11月27日閲覧。
- ↑ “1972年12月29日のレース情報”. netkeiba.com. 2025年11月27日閲覧。
- ↑ “田所秀孝の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年11月27日閲覧。
- ↑ “田所師、思い出つないだニホンピロバロンのG1制覇 ジョッキーから調教師へ足かけ50年のホースマン人生 - スポニチ競馬Web”. keiba.sponichi.co.jp. 2025年11月27日閲覧。
- 1 2 “田所秀孝の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年11月27日閲覧。
- 1 2 3 “サンエムジョオー (San M.Jo O)”. netkeiba.com. 2025年11月27日閲覧。
- ↑ “阪神4歳牝馬特別|1978年3月19日”. netkeiba.com. 2025年11月27日閲覧。
- ↑ “桜花賞|1978年4月9日”. netkeiba.com. 2025年11月27日閲覧。
- ↑ “4歳牝馬特別|1981年5月3日”. netkeiba.com. 2025年11月27日閲覧。
- 1 2 3 4 “アンバーライオン (Amber Lion)”. netkeiba.com. 2025年11月27日閲覧。
- 1 2 3 4 “サムソンビッグ (Samson Big)”. netkeiba.com. 2025年11月27日閲覧。
- ↑ “ナリタタイシン|名馬メモリアル|競馬情報ならJRA-VAN”. jra-van.jp. 2025年11月27日閲覧。
- 1 2 “名馬連載【1993年ビワハヤヒデ、ナリタタイシン、ウイニングチケット BNW永遠の三重奏】(7)運命の皐月賞「3強」へ - サンスポZBAT!”. www.sanspo.com. 2025年11月27日閲覧。
- ↑ “1993年3回東京4日(5月30日)9R 皇太子殿下御成婚奉祝東京優駿(GI)”. 日本中央競馬会. 2025年11月27日閲覧。
- 1 2 3 “[平成名勝負]1659回目、されど生涯初の1着〜1993年東京優駿・ウイニングチケット〜”. uma-furi.com. 2025年11月27日閲覧。
- 1 2 3 “名馬連載【1993年ビワハヤヒデ、ナリタタイシン、ウイニングチケット BNW永遠の三重奏】(8)悲願のダービー制覇(今回は無料で全文読めます) - サンスポZBAT!”. www.sanspo.com. 2025年11月27日閲覧。
- ↑ “東京優駿|1993年5月30日”. netkeiba.com. 2025年11月27日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 “サムソン牧場-過去に活躍した勇者たち”. 2000年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月27日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 “単勝172倍の大激走 サムソンビッグ唯一の重賞制覇”. netkeiba.com. 2025年11月27日閲覧。
- ↑ “田所秀孝の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年11月27日閲覧。
- ↑ “暴力的に無双!ゲーム「ウマ娘」に登場で話題のナリタブライアンを東スポで振り返る。|東スポnote”. note.tokyo-sports.co.jp. 2025年11月27日閲覧。
- ↑ “チューリップ賞2022特集 - 歴史と概要”. 競馬予想のウマニティ. 2025年11月27日閲覧。
- ↑ “スガノセカイイチ (Sugano Sekaiichi)”. netkeiba.com. 2025年11月27日閲覧。
- ↑ “エリザベス女王杯|1993年11月14日”. netkeiba.com. 2025年11月27日閲覧。
- ↑ “4歳未勝利|1993年5月16日”. netkeiba.com. 2025年11月27日閲覧。
- ↑ “FURIKAERU”. 1999年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月27日閲覧。
- ↑ “チューリップ賞|1994年3月12日”. netkeiba.com. 2025年11月27日閲覧。
- ↑ “FURIKAERU”. 1999年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月27日閲覧。
- ↑ “田所秀孝の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年11月27日閲覧。
- ↑ 裁定委員会外部委員の委嘱 - JRA 2021年6月18日
- ↑ “News「原田敬伍騎手 JRA初勝利」”. 競馬実況web. 日経ラジオ社 (2013年3月9日). 2013年6月8日閲覧。