「ジェームス・ダグラス」の版間の差分
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[[1990年]]2月11日、[[マイク・タイソン]]の持つ[[世界ボクシング協会|WBA]]・[[世界ボクシング評議会|WBC]]・IBF世界ヘビー級王座に挑戦し、10回KO勝ちで王座を獲得。[[リングマガジン アップセット・オブ・ザ・イヤー]]に選出された。強打で恐れられたタイソンに勇気を持って立ち向かい、タイソンを初めて破った選手となった。しかしこの試合はダグラスがダウンした際に実質13秒のロングカウントが為されたとされ、試合後に法廷闘争に発展。「疑惑のロングカウント」によりダグラス自身もボクサーとして正当な評価を得られなかった。タイソン戦を巡っての法廷闘争は後に1度目の引退後に至るまで深刻な精神的ダメージを与えた。ダグラスは当時を「私はチャンピオンになったが、それは悪夢だった」と振り返っている<ref name="ダグラスの栄光と苦闘" /><ref>{{Cite web|url=https://spaia.jp/column/boxing/10249|title=マイク・タイソンがリング復帰?波乱万丈のボクシング人生|publisher=【SPAIA】スパイア|date=2020-05-02|accessdate=2020-11-16}}</ref>。 |
[[1990年]]2月11日、[[マイク・タイソン]]の持つ[[世界ボクシング協会|WBA]]・[[世界ボクシング評議会|WBC]]・IBF世界ヘビー級王座に挑戦し、10回KO勝ちで王座を獲得。[[リングマガジン アップセット・オブ・ザ・イヤー]]に選出された。強打で恐れられたタイソンに勇気を持って立ち向かい、タイソンを初めて破った選手となった。しかしこの試合はダグラスがダウンした際に実質13秒のロングカウントが為されたとされ、試合後に法廷闘争に発展。「疑惑のロングカウント」によりダグラス自身もボクサーとして正当な評価を得られなかった。タイソン戦を巡っての法廷闘争は後に1度目の引退後に至るまで深刻な精神的ダメージを与えた。ダグラスは当時を「私はチャンピオンになったが、それは悪夢だった」と振り返っている<ref name="ダグラスの栄光と苦闘" /><ref>{{Cite web|url=https://spaia.jp/column/boxing/10249|title=マイク・タイソンがリング復帰?波乱万丈のボクシング人生|publisher=【SPAIA】スパイア|date=2020-05-02|accessdate=2020-11-16}}</ref>。 |
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1990年2月23日、プロレス団体の[[WWE]](当時WWF)に特別レフェリーとして出演。試合を裁いた。元々はタイソンが特別レフェリーを務める予定だったが、KO負けしたことでダグラスが代わりを務めることになった。 |
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[[1998年]]6月25日、[[ルー・サバリース]]とのマイナータイトルの[[国際ボクシング協会|IBA]]ヘビー王座決定戦で、3度のダウンを奪われ初回KO負け。 |
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2021年6月12日 (土) 17:24時点における版
基本情報 | |
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本名 | ジェームス・ダグラス |
通称 | バスター(Buster) |
階級 | ヘビー級 |
身長 | 192cm |
リーチ | 211cm |
国籍 | アメリカ合衆国 |
誕生日 | 1960年4月7日(64歳) |
出身地 | オハイオ州コロンバス |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 46 |
勝ち | 38 |
KO勝ち | 25 |
敗け | 6 |
引き分け | 1 |
無効試合 | 1 |
ジェームス・ダグラス(James Douglas、1960年4月7日 - )は、アメリカ合衆国の男性プロボクサー。オハイオ州コロンバス出身。“バスター”(破壊者)のニックネームで呼ばれる。
父:ビル・ダグラス(Billy Douglas)もミドル級の元世界ランカーで来日経験のある親子ボクサーでもあった。
1990年2月11日、東京ドームで当時無敗のWBA・WBC・IBF世界ヘビー級王者マイク・タイソンからKO勝ちで王座を奪取した[1]。
来歴
高校とコミュニティ・カレッジではバスケットボールの選手だった。
1981年5月31日、21歳でプロボクシングデビュー。
1987年5月30日、空位のIBF世界ヘビー級王座をトニー・タッカーと争い、10回TKO負け。
1990年2月11日、マイク・タイソンの持つWBA・WBC・IBF世界ヘビー級王座に挑戦し、10回KO勝ちで王座を獲得。リングマガジン アップセット・オブ・ザ・イヤーに選出された。強打で恐れられたタイソンに勇気を持って立ち向かい、タイソンを初めて破った選手となった。しかしこの試合はダグラスがダウンした際に実質13秒のロングカウントが為されたとされ、試合後に法廷闘争に発展。「疑惑のロングカウント」によりダグラス自身もボクサーとして正当な評価を得られなかった。タイソン戦を巡っての法廷闘争は後に1度目の引退後に至るまで深刻な精神的ダメージを与えた。ダグラスは当時を「私はチャンピオンになったが、それは悪夢だった」と振り返っている[2][3]。
1990年2月23日、プロレス団体のWWE(当時WWF)に特別レフェリーとして出演。試合を裁いた。元々はタイソンが特別レフェリーを務める予定だったが、KO負けしたことでダグラスが代わりを務めることになった。
タイソンとプロモーターのドン・キングが再戦を要求したが、ダグラスはその要求を断ってイベンダー・ホリフィールドと対戦することを選択した。
1990年10月25日、イベンダー・ホリフィールドに3回KO負けし、王座から陥落。試合後に1度目の引退を表明する。ダグラスはこの試合で2460万ドルのファイトマネーを稼いだ[2]。番狂わせで世界チャンピオンに上り詰めたことで環境が激変し、コンディション調整の失敗も理由であった。この敗戦でダグラスの評価は一段と下がり、メディアでは「まぐれでタイソンに勝った男」と評されるようになった。
引退後に体重が400ポンド(約180キロ)近くに達し、うつ病を発症。これに加えアルコール依存症となり糖尿病も併発した。一時は生死をさまようほど病状が悪化し、ダグラスは当時を「人生に無関心だった」と振り返っている[2]。このためトレーニングを再開。
1996年6月22日、6年ぶりに現役復帰し、復帰戦から6連勝を記録。
1998年6月25日、ルー・サバリースとのマイナータイトルのIBAヘビー王座決定戦で、3度のダウンを奪われ初回KO負け。
1999年、2度目の引退。
現在は現役時代に患った糖尿病と向き合いながら、出身地のオハイオ州コロンバスのコミュニティーセンターでボクシングのインストラクターをしている[2]。
戦績
- プロボクシング: 46戦 38勝(25KO) 6敗 1分 1NC
獲得タイトル
脚注
- ^ “タイソンvsダグラスから30年。「あれはロングカウントではなかった」。レフェリーが明かす疑惑の真実(三浦勝夫)”. Yahoo!ニュース (2020年2月14日). 2021年6月3日閲覧。
- ^ a b c d “「世紀の番狂わせ」から30年 タイソンを倒した男、ダグラスの栄光と苦闘とは”. J-CASTニュース (2020年2月16日). 2020年1月6日閲覧。
- ^ “マイク・タイソンがリング復帰?波乱万丈のボクシング人生”. 【SPAIA】スパイア (2020年5月2日). 2020年11月16日閲覧。
関連項目
- 男子ボクサー一覧
- 世界ボクシング協会(WBA)世界王者一覧
- 世界ボクシング評議会(WBC)世界王者一覧
- 国際ボクシング連盟(IBF)世界王者一覧
- 統一世界王者
- ファイナルブロー - タイトーのビデオゲーム。セガジェネシス移植版が「'Buster' Douglas Knockout Boxing」のタイトルで発売され、ダグラスが選択キャラの一人になっている。
外部リンク
- ジェームス・ダグラス (@official_busterdouglasko) - Instagram
- ジェームス・ダグラスの戦績 - BoxRec(英語)
前王者 マイク・タイソン |
WBA世界ヘビー級王者 1990年2月11日 - 1990年10月25日 |
次王者 イベンダー・ホリフィールド |
前王者 マイク・タイソン |
WBC世界ヘビー級王者 1990年2月11日 - 1990年10月25日 |
次王者 イベンダー・ホリフィールド |
前王者 マイク・タイソン |
IBF世界ヘビー級王者 1990年2月11日 - 1990年10月25日 |
次王者 イベンダー・ホリフィールド |