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「力への意志」の版間の差分

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また[[永井均]]はこの概念を指して、「力への意志」というよりは「力=意志説」と呼んだほうが良いと書いている。<ref>永井均『ルサンチマンの哲学 (シリーズ 道徳の系譜)』河出書房新社、1997年、p.142</ref>
 
[[ニヒリズム]]における個々の人間は自分の[[ルサンチマン]]のあり方をよく意識し、それを肯定的な力へ向ける代わりに専ら、ルサンチマンを晴らすことに生の理由を見いだしている。ニーチェの提起した「超人」の思想はまさに、このような事態を否定している。強者は、凡庸な人間に自己を合わせたり、また、弱者を見て己の優越感を味わうのでもなく、'''常に一層高次の生を求め'''己を推し進めることにある。また、弱者が目標とすべきなのは、己よりも更に弱い者を見て相対的にルサンチマンを晴らしたり、ルサンチマンを自己に向けて自分の生を否定するのではなく、常に強者が示す高次の生き方に憧れ、己がそのように生きられないにも関わらず「'''尚も'''」それを望むということである<ref>[[竹田青嗣]] 『ニーチェ (FOR BEGINNERSシリーズ イラスト版オリジナル 47)』 [[現代書館]]、1988年、pp.122-24。</ref>。
 
{{Quotation|千の目標が今までに存在した。千の民族があったからだ。ただその千の頸を一体とする軛が今もなお欠けている。人類はまだ目標をもっていない。だが、答えてくれ、私の兄弟たちよ。人類にまだ目標が欠けているなら―――まだ人類そのものが欠けているのではないのか}}
{{Quotation|要約すれば意識されるもの全ては、一つの終末的現象、結論であり、決してなにかを引き起こす要因とはならない<br/ >―――結局のところ、問題なのは人間では全然ない。人間は「克服」されるべきであるからだ《478,676》}}
{{Quotation|人間が獣と超人との間に架け渡された軌道の中央に立ち、これから夕べへ向かう己が道を、己が最高の希望として祝うときである<br/ >「'''全ての神々は死んだ。今こそ我々は超人が栄えんことを欲する'''」その大いなる正午における我らの究極の意志であれ!!}}
 
ニーチェは、[[キリスト教]]主義、ルサンチマン的価値評価、[[形而上学]]的価値といったロゴス的なものは、「現にここにある生」から人間を遠ざけるものであるとする。そして人間は、力への意志によって流転する価値を承認し続けなければならない悲劇的存在であるとする。だが、そういった認識に達することは、既存の価値から離れ、自由なる精神を獲得することを意味する。それは[[超人]]へ至る条件でもある<ref name="nietzsche_sisou">[[フリードリヒ・ニーチェ#思想]]を参照。</ref>。
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