「蔵賀」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Gyokei (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
編集の要約なし
1行目: 1行目:
'''蔵賀'''(ぞうが、[[延喜]]17年([[917年]]) - [[長保]]5年[[6月9日 (旧暦)|6月9日]]([[1003年]][[7月10日]]))は、[[平安時代]]中期の[[天台宗]]の[[僧]]。'''増賀'''、'''僧賀'''とも書く。父は参議[[橘恒平]]。'''多武峰先徳'''(とうのみねせんとく)とも呼ばれる。
'''蔵賀'''(ぞうが、[[延喜]]17年([[917年]]) - [[長保]]5年[[6月9日 (旧暦)|6月9日]]([[1003年]][[7月10日]]))は、[[平安時代]]中期の[[天台宗]]の[[僧]]。'''増賀'''、'''僧賀'''とも書く。父は参議[[橘恒平]]。'''多武峰先徳'''(とうのみねせんとく)とも呼ばれる。


[[比叡山]]で慈恵大師(元三大師)[[良源]]に師事して天台教学を学び、[[963年]]([[応和]]3年)[[藤原高光|如覚]]の勧めで[[多武峰]]([[奈良県]][[桜井市]])に住し、「[[摩訶止観]]」「法華文句」を講じ、「法華玄義鈔」「無限念仏観」などを著した。また、毎年四半期ごとに法華三昧を修した。一方不動供([[不動明王]]を供養する修法)などの修法や[[法華経]]読誦を行い奇瑞を現したという。高い名誉や利権を嫌い、奇行譚を多く残した。
[[比叡山]]で慈恵大師(元三大師)[[良源]]に師事して天台教学を学び、[[963年]]([[応和]]3年)[[藤原高光|如覚]]の勧めで[[多武峰]]([[奈良県]][[桜井市]])に住し、「[[摩訶止観]]」「法華文句」を講じ、「法華玄義鈔」「無限念仏観」などを著した。また、毎年四半期ごとに法華三昧を修した。一方不動供([[不動明王]]を供養する修法)などの修法や[[法華経]]読誦を行い奇瑞を現したという。高い名誉や利権を嫌い、奇行譚を多く残した。[[即身仏]]となったと伝わる



{{reli-bio-stub}}
{{reli-bio-stub}}

2020年10月22日 (木) 22:21時点における版

蔵賀(ぞうが、延喜17年(917年) - 長保5年6月9日1003年7月10日))は、平安時代中期の天台宗増賀僧賀とも書く。父は参議橘恒平多武峰先徳(とうのみねせんとく)とも呼ばれる。

比叡山で慈恵大師(元三大師)良源に師事して天台教学を学び、963年応和3年)如覚の勧めで多武峰奈良県桜井市)に住し、「摩訶止観」「法華文句」を講じ、「法華玄義鈔」「無限念仏観」などを著した。また、毎年四半期ごとに法華三昧を修した。一方不動供(不動明王を供養する修法)などの修法や法華経読誦を行い奇瑞を現したという。高い名誉や利権を嫌い、奇行譚を多く残した。即身仏となったと伝わる。