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2013年11月28日 (木) 04:06時点における版
チーム名(通称) | 新日鐵釜石、富士鐵釜石 |
---|---|
加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | 企業チーム |
創部 | 1932年 |
チーム名の遍歴 |
釜石鉱山硬式野球部(1932年 - 1933年) →日本製鐵釜石硬式野球部(1933年 - 1950年) →富士製鐵釜石硬式野球部(1950年 - 1970年) →新日本製鐵釜石硬式野球部(1970年 - 1988年) |
本拠地自治体 | 岩手県釜石市 |
都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 18回 |
最近の出場 | 1987年 |
最高成績 | 準優勝 |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 5回 |
最近の出場 | 1986年 |
最高成績 | 2回戦 |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
新日本製鐵釜石硬式野球部(しんにほんせいてつかまいしこうしきやきゅうぶ)は、岩手県釜石市に本拠地を置き、日本野球連盟に所属していた社会人野球チームである。
概要
1932年に釜石鉱山株式会社の釜石製鐵所の硬式野球部として創立[1]。日本製鐵となった後の1938年に、岩手県勢として初めて都市対抗に出場した。
富士製鐵釜石時代の1959年には、水沢駒形野球倶楽部から補強した岩本義行の活躍もあって都市対抗で準優勝を果たしている[2]。当時は、「東北の暴れん坊」という異名を持っていた[3]。1989年3月に釜石製鐵所の高炉を閉鎖するのに伴い、合理化の一環として1988年11月30日をもって釜石野球部は休部となった[1]。野球を続ける事を希望した部員は君津野球部、名古屋野球部などに移籍している。
沿革
- 1932年 釜石鉱山硬式野球部として創部
- 1933年 本体の合体により、日本製鐵釜石硬式野球部となる
- 1938年 都市対抗初出場
- 1950年 本体の組織解体により、富士製鐵釜石硬式野球部となる
- 1959年 都市対抗で準優勝
- 1970年 本体の組織解体により、新日本製鐵釜石硬式野球部となる
- 1977年 日本選手権初出場
- 1988年 休部
主要大会の出場歴・最高成績
出身選手
- 高島覚(中日ドラゴンズ→福岡ダイエーホークス)
- 山田久志(富士製鐵釜石時代に在籍、後に阪急ブレーブスに入団)