釜石シーウェイブスRFC

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釜石シーウェイブスRFC
クラブカラー  
 
愛称 シーウェイブス
創設年 2001年
本拠地 釜石市
グラウンド 釜石鵜住居復興スタジアム.jpg
釜石鵜住居復興スタジアム
Kamaishi Playing Field.png
釜石市球技場(松倉グラウンド)
収容人数 6,130(鵜住居)
240(松倉)
監督 須田康夫(ヘッドコーチ)
所属リーグ JAPAN RUGBY LEAGUE ONE
ファーストカラー
セカンドカラー
公式サイト
https://kamaishi-seawaves.com/
テンプレートを表示
非公式黙認マスコット『なかぴー』『なかりん』(2016年9月25日、秩父宮ラグビー場にて撮影)

釜石シーウェイブスRFC(かまいしシーウェイブスラグビーフットボールクラブ、: Kamaishi Seawaves R.F.C.)は、岩手県釜石市に拠点を置くラグビーユニオンクラブ。JAPAN RUGBY LEAGUE ONEに所属する。

概要[編集]

1959年に設立された富士製鐵(現・日本製鉄釜石製鐵所(現・北日本製鉄所釜石地区)の実業団チーム(呼称は富士製鉄釜石または富士鉄釜石)を起源とする。1970年、富士製鐵八幡製鐵と合併して新日本製鐵となったことにより、新日本製鐵釜石ラグビー部(呼称は新日鉄釜石)となった。

実業団時代の1978年度から1984年度にかけて全国社会人大会および日本選手権を7連覇という偉業を達成し、その強さから「北の鉄人」と呼ばれ、日本ラグビー史に一時代を築いたチームでもある。獲得した全国タイトルは26個(日本選手権:8回、全国社会人大会:9回、国体:9回)を数える。また、7人制でもYC&AC JAPAN SEVENSで優勝を記録するなど、釜石を「ラグビーの町」と広く認識させるに至った。

2001年の関東社会人リーグ1部への降格に前後してクラブチーム化したことで釜石シーウェイブスとなった。以後はトップイーストリーグトップチャレンジリーグを主戦場としながらトップリーグ参入を目指している。愛称である「シーウェイブス」は『力強く押し寄せる海の波』を意味する。

本拠地スタジアムは釜石市球技場(松倉グラウンド)と釜石鵜住居復興スタジアム [1]。定期的に北上総合運動公園陸上競技場盛岡南公園球技場でトップイーストの公式戦を開催している。

2021年、チーム公式マスコットキャラクターが誕生した。名前は、『フライキー』。下記の「なかぴー」「なかりん」に憧れて、虎になりたいと思っている三毛猫。チームを応援するために、いつも大漁旗を持ち歩いている。猫ゆえに釜石の魚(特にサンマ)が大好きで、魚を獲ってきてくれる漁師さんも大好き。将来、選手としてシーウェイブス入りを目指し、兄弟とともに五葉山を毎日走り回っている[2]

「非公式黙認マスコットキャラクター」は「なかぴー」と「なかりん[3]。「なかぴー」と「なかりん」は、シーウェイブス公式サイトにおいて、釜石シーウェイブスRFCの「非公式黙認」マスコットキャラクターとして記されており、いわば「公式に認められている非公式黙認マスコットキャラクター」となる。

チームスローガン[編集]

  • 2014年度:「原点回帰
  • 2015・2016年度:「チェンジ・ザ・ヒストリー
  • 2017年度:「JUST DO IT
  • 2020年度:「釜石の誇りに 東北の夢に 日本の希望に KAMAISHIを世界の共通語に

歴史[編集]

富士鉄釜石/新日鉄釜石時代[編集]

1959年、富士製鐵釜石製鐵所の実業団チームである「富士鉄釜石ラグビー部」として結成。1962年全国社会人大会に初めて出場したが、1回戦で大阪府警察に敗れた。1969年全国社会人大会準決勝でトヨタ自工に3年連続で敗れたものの日本選手権初出場を果たした[注 1]。日本選手権では綿井永寿が率いた日本体育大学に敗れた。

1970年新日本製鐵への社名変更に伴い、チーム名も「新日鉄釜石ラグビー部」に変更。同年度の全国社会人大会リコーと同点ながら初優勝を果たし、また抽選により日本選手権出場も果たしたが、日本選手権では日比野弘が率いた早稲田大学に敗れた。

1976年全国社会人大会決勝でトヨタ自工を破り、6年ぶり2回目の優勝を果たすと日本選手権でも大東和美が率いた早稲田大学を破り、初優勝を果たした。そして1978年から1984年まで主将の松尾雄治[注 2] を筆頭に洞口孝治千田美智仁森重隆[注 3]小林日出夫らの主力を擁して、全国社会人大会及び日本選手権にて当時最多の7連覇を達成した(当時中継したNHKには映像が一つも保存されていなかったが、2013年に土門正夫アナウンサーが84・85年分を、そして千田美智仁が79年から83年分を提供したため、日本選手権決勝は映像が全て揃うこととなった[4])。ちなみに1981年には釜石市でニュージーランドのクラブチームであるポンソンビーと国際試合が行われて、ポンソンビーが19対13で勝利した[5]

そして8連覇を狙った1985年は、全国社会人大会準決勝で神戸製鋼に敗れた。1986年全国社会人大会決勝に進出したが、トヨタ自動車に敗れた。1987年全国社会人大会予選で秋田市役所に敗れたため、全国社会人大会に出場できなかった。翌年の1988年より東日本社会人リーグに参加し、同年度には三洋電機に次ぐ2位の成績を収めた。

しかし1992年全国社会人大会を最後に同大会への出場は途絶え、1993年から1999年まで7年連続で入れ替え戦に回るも、全て勝利して残留を果たしたが、2001年に新設された東日本社会人チャレンジリーグにて最終戦で三菱重工相模原に1点差で敗れたことで3位に終わり[6]、東日本社会人リーグから関東社会人リーグ1部に降格した。加えて新日本製鐵のスポーツ事業運営の見直しを図る観点から2001年を最後に新日鉄釜石ラグビー部としては一旦幕を下ろした。

全国社会人大会には1961年度に初出場。以降、1992年度までの間に、近鉄トヨタ自動車三洋電機神戸製鋼リコーに次いで歴代6位タイとなる30回出場した。優勝9回(歴代2位タイ)、準優勝1回、通算86試合(歴代5位)、通算62勝(歴代4位)、7大会連続優勝(1978年度-1984年度、歴代1位タイ)という記録を残している。

釜石シーウェイブス時代[編集]

2001年、本拠地の釜石市に密着したクラブチームに生まれ変わり、チーム名称を「釜石シーウェイブスRFC」と改めて4月25日に再始動し、監督は前年まで新日鉄釜石ラグビー部の監督を務めた高橋善幸が就任した。なお同年の関東社会人リーグ1部は、5勝2敗でAグループ4位に終わった。なおシーズン終了後桜庭吉彦は一度現役を引退した。なお、新日本製鐵釜石製鐵所の国峰淳総務部長によると、人口規模が小さい釜石では、堺ブレイザーズと異なり株式会社化が困難であったため、地域密着型クラブチーム化という方式がとられたという[7]

2002年ヘッドコーチに元日本代表の桜庭吉彦が就任し、ニュージーランド出身で外国人として初めて日本代表主将を務め引退後東芝府中のヘッドコーチを務めていたアンドリュー・マコーミックを選手として招聘[8]。同年の関東社会人リーグ1部Bグループで7勝負けなし[9]トップイースト10に昇格した。なお2002年度で最後の大会となった全国社会人大会には代表決定戦でNECに敗れたため、出場することが出来なかった。

2003年、トップイースト10初年度ではリーグ戦3位に入り、イーストプレーオフにて三菱重工相模原を破ったことでトップリーグへの昇格を争うトップチャレンジ2[注 4] と日本選手権出場(前身の新日鉄釜石ラグビー部時代以来となる19年ぶり)を果たした。ちなみに日本選手権では3回戦で春口廣が率いる関東学院大学に敗れた。

2004年、マコーミックは再び現役を引退し、チームのテクニカルコーチに就任した。開幕から3連勝するが、その後1勝しか挙げることが出来ずに、5位に終わる。

2005年、ヘッドコーチである桜庭吉彦が現役復帰を果たしたが、チームの成績は8位に終わる。シーズン終了後桜庭吉彦は再び現役を引退した。

2006年、ヘッドコーチにチームのOBである池村章宏が就任してオールブラックスピタ・アラティニが加入し、津嶋俊一がチームの主将に就任したが、5勝5敗の6位に終わる。

2007年、岩手県ラグビーフットボール協会と提携して「イーハトーブリーグ」を設立。釜石シーウェイブスはBチームが参加した。なお7人制日本代表石川安彦らが加入し、篠原洋介がチームの主将に就任したが、順位は前年と同じ6位に終わった。

2008年、石川安彦らは退団したものの、元東芝の佐々木天晃や元三洋電機馬渕勝らが加入し、ピタ・アラティニがチームの主将に就任した。なおチームは7勝を挙げて5年ぶりにリーグ戦を勝ち越したが、勝点の関係により3年連続の6位に終わる。

2009年、元ワールド長田剛スコット・ファーディーらが加入し、チームは開幕戦で勝利するがその後3連敗して5位で終わる。

2010年、元コカ・コーラのニールソン武蓮伝らが加入し、チームは開幕から6連勝を果たすが、その後連敗して4位で終える。

2011年東北地方太平洋沖地震に際して、拠点を置く岩手県釜石市が壊滅的被害を受ける。一時チーム関係者全員の安否不明の状態が続いたが、後に選手とその家族全員の無事が確認された。チームとしての活動を一時休止。ボランティア活動などの復興支援に積極的に取り組んだ[10]5月3日に練習を再開[11]5月4日に「スクラム釜石」という復興・チーム再建支援組織を松尾雄治石山次郎らが中心となって旗揚げした[12]。また同年にはトップイーストリーグが2部制となり釜石シーウェイブスは1部に所属し、ヘッドコーチにはホッダー・ポールが就任し、佐伯悠がチームの主将に就任し、元日本代表の吉田尚史が加入する。チームは前年と同じく4位で終わった。

2012年、スコット・ファーディーや馬渕勝らは退団したものの、元日本代表の伊藤剛臣らが加入。チームはリーグ戦で最高位タイとなる3位で終える。また三浦健博が引退したことで新日鉄釜石ラグビー部時代からの在籍者がいなくなった。

2013年、元主将のピタ・アラティニや吉田尚史らは退団したものの、トンガ代表ジョシュア・アフ香港代表調建造や7人制ニュージーランド代表のジェームス・カマナらが加入。チームは前年と同じくリーグ戦で最高位タイとなる3位で終える。

2014年、ヘッドコーチにチームのOBである三浦健博が就任し、須田康夫がチームの主将に就任して調建造やニールソン武蓮伝らは退団したものの、日本代表のヘイデン・ホップグッドオーストラリア代表サム・ノートンナイトらが加入。また同年4月にはホップグッドが日本代表に選出され、2001年にクラブチームになって以降、釜石の選手が初めて日本代表に選ばれた。トップイーストリーグでリーグ戦2位に入り、11年ぶりにジャパンラグビートップリーグへの昇格を争うトップチャレンジ2に出場し、大阪府警察、中国電力を相手に2勝0敗でグループ1位で終え、初めてトップチャレンジ1への出場を決めた。トップチャレンジ1では九州電力Honda Heatに敗れたが、同じトップイーストリーグの宿敵三菱重工相模原に勝利する[注 5] も1勝2敗で4位で終え、クボタとのトップリーグ入替戦に回ったが、敗れてトップリーグ昇格はならなかった。

2015年、ジョシュア・アフやホップグッドやノートンナイトらは退団したものの、日本代表の北川勇次松原裕司が加入。チームは開幕から史上初となる8連勝を果たしたが、最終戦で三菱重工相模原に敗れてリーグ戦2年連続2位に入り、トップチャレンジ2への出場が決まった。トップチャレンジ2では中部電力に勝利したが、九州電力に敗れて1勝1敗でグループ2位で終わり、トップチャレンジ1への出場はならなかった。

2016年、セイララ・マプスアや千布亮輔らは退団したものの、韓国代表許雄7人制日本代表中野裕太らが加入。7勝2敗で3位に入り、トップチャレンジへの進出はならなかったが、来シーズンから創設されるトップチャレンジリーグの参入マッチへの出場が決まった。なおトップチャレンジリーグ参入マッチでは大阪府警察、マツダブルーズーマーズに2連勝して1位となり、ジャパンラグビートップチャレンジリーグへの昇格が決定した。

2017年、ヘッドコーチに小村淳が就任し、松原裕司やジェームス・カマナらが退団したものの、韓国代表の權正赫らが加入。トップチャレンジリーグは1stステージでは2勝4敗1分で5位にとなり、2ndステージは下位リーグとなるBグループに入った。そしてBグループでは1勝2敗で3位に終わり、リーグ戦7位となり3地域チャレンジの2位チームとの入れ替え戦に回ったが、大阪府警察を破ってトップチャレンジリーグ残留を果たした。

2018年、監督にGM兼任で桜庭吉彦が就任し、チームの主将に小野航大が就任。ホラニ龍シオアペラトゥーマオリ・オールブラックスコディ・レイら総勢20名加入。一方で伊藤剛臣が引退して主将の須田康夫や許雄ら総勢19名が退団した。トップチャレンジリーグは1stステージ最終節でホーム釜石鵜住居復興スタジアムで昇格チームの栗田工業ウォーターガッシュに勝てば上位グループとなるAグループに入れる試合で12-40と完敗を喫し2勝5敗で2年連続5位となりBグループ入り、Bグループでは1勝2敗で3位に終わり、2年連続リーグ戦7位となり3地域チャレンジの2位との入れ替え戦に回ったが、中部電力ラグビー部を破ってトップチャレンジリーグ残留を果たした。

2019年山田龍之介ヘルダス・ファンデンヴォルトらが加入。一方で北川勇次や田邉篤らは退団した。総当たり戦となったトップチャレンジリーグでは3勝3敗1分で4位に入る。なお同年11月16日、釜石鵜住居復興スタジアムで初めての公式戦が行われた。

2020年マオリ・オールブラックスサム・ヘンウッドラグビーフィジー代表トマシソンゲタらが加入。一方でホラニ龍シオアペラトゥーやユルゲン・ヴィサーらは退団した。

2021年7月16日、新リーグJAPAN RUGBY LEAGUE ONEの2部リーグに振り分けされることになった[13]

タイトル[編集]

全国大会

7人制大会

成績[編集]

富士鉄釜石/新日鉄釜石時代[編集]

年度 地区 成績 最終試合 備考
14 1961 東北 1回戦敗退 1 0 0 1 6 19 -13 6-19 大阪府警 富士鉄釜石のチーム名で出場
15 1962 東北 1回戦敗退 1 0 0 1 9 11 -2 9-11 伊丹部隊
17 1964 東北 ベスト8 2 1 0 1 33 17 16 9-17 近鉄
18 1965 東北 ベスト8 2 1 1 0 56 8 48 8-8[注 7] 京都市役所 準々決勝は引分(抽選で敗退)
19 1966 東北 ベスト4 3 2 0 1 42 37 5 0-20 近鉄
20 1967 東北 ベスト4 3 2 0 1 81 17 64 5-11 トヨタ自工
21 1968 東北 ベスト4 3 2 0 1 67 33 34 8-19 トヨタ自工
22 1969 東北 ベスト4 3 2 0 1 78 38 40 3-21 トヨタ自工 日本選手権に出場[注 1]
23 1970 東北 優勝[注 6] 4 3 1 0 54 20 34 6-6 リコー[注 6] 新日鉄釜石にチーム名変更
両チーム優勝[注 6]
日本選手権に出場(抽選による)
24 1971 東北 ベスト8 2 1 0 1 38 40 -2 20-28 三菱自工京都
25 1972 東北 ベスト4 3 2 0 1 57 46 11 7-21 三菱自工京都
26 1973 東北 ベスト4 3 2 0 1 128 35 93 13-31 近鉄
27 1974 東北 ベスト4 3 2 1 0 117 17 100 14-14[注 7] 近鉄 準決勝は引分(抽選で敗退)
28 1975 東北 ベスト8 2 1 0 1 84 23 61 14-19 三菱自工京都
29 1976 東北 優勝 4 4 0 0 124 51 73 27-3 トヨタ自工 日本選手権に出場
30 1977 東北 ベスト4 3 2 0 1 70 42 28 14-16 トヨタ自工
31 1978 東北 優勝 4 4 0 0 154 24 130 15-3 三菱自工京都 日本選手権に出場
32 1979 東北 優勝 4 4 0 0 113 23 90 27-13 東京三洋 日本選手権に出場
33 1980 東北 優勝 4 4 0 0 158 34 124 31-15 東京三洋 日本選手権に出場
34 1981 東北 優勝 4 4 0 0 91 16 75 19-0 トヨタ自工 日本選手権に出場
35 1982 東北 優勝 4 4 0 0 98 23 75 16-0 トヨタ自動車 日本選手権に出場
36 1983 東北 優勝 4 4 0 0 107 16 91 31-0 東芝府中 日本選手権に出場
37 1984 東北 優勝 4 3 1 0 110 27 83 22-0 神戸製鋼 準決勝は引分(抽選で上位進出)
日本選手権に出場
38 1985 東北 ベスト4 3 2 0 1 67 32 35 9-13 神戸製鋼
39 1986 東北 準優勝 4 2 1 1 55 38 17 6-19 トヨタ自動車 準決勝は引分(抽選で上位進出)
41 1988 東日本 ベスト8 2 1 0 1 44 64 -20 19-43 トヨタ自動車
42 1989 東日本 ベスト8 2 1 0 1 66 38 28 25-29 トヨタ自動車
43 1990 東日本 1回戦敗退 1 0 0 1 9 19 -10 9-19 トヨタ自動車
44 1991 東日本 ベスト8 2 1 0 1 28 58 -30 7-46 三洋電機
45 1992 東日本 ベスト8 2 1 0 1 40 58 -18 16-44 東芝府中 東北優先条項による出場[14]
  • 日本選手権戦績
    • 1969年 準優勝 13-29 日本体育大学秩父宮
    • 1970年 準優勝 16-30 早稲田大学(秩父宮)
    • 1976年 優勝 27-12 早稲田大学(国立競技場
    • 1978年 優勝 24-0 日本体育大学(国立競技場)
    • 1979年 優勝 32-6 明治大学(国立競技場)
    • 1980年 優勝 10-3 同志社大学(国立競技場)
    • 1981年 優勝 30-14 明治大学(国立競技場)
    • 1982年 優勝 21-8 同志社大学(国立競技場)
    • 1983年 優勝 35-10 同志社大学(国立競技場)
    • 1984年 優勝 31-17 同志社大学(国立競技場)
  • リーグ戦戦績
シーズン 所属リーグ 順位 勝敗 監督 主将 備考
1988-1989 東日本社会人リーグ 2位 5勝2敗 金子敦行 長山時盛 全国社会人大会に出場
1989-1990 東日本社会人リーグ 3位 4勝2敗1分 金子敦行 長山時盛 全国社会人大会に出場
1990-1991 東日本社会人リーグ 5位 3勝4敗 金子敦行 浦野健介 全国社会人大会に出場
1991-1992 東日本社会人リーグ 4位 4勝3敗 金子敦行 浦野健介 全国社会人大会に出場
1992-1993 東日本社会人リーグ 7位 1勝6敗 浦野健介 高橋善幸 全国社会人大会に出場[14]
1993-1994 東日本社会人リーグ 7位 1勝6敗 浦野健介 高橋善幸 入替戦 40-31 NTT東北熊谷
東日本社会人リーグ残留
1994-1995 東日本社会人リーグ 7位 1勝6敗 小林一郎 桜庭吉彦 入替戦 15-13 秋田市役所(秩父宮)
東日本社会人リーグ残留
1995-1996 東日本社会人リーグ 8位 0勝7敗 小林一郎 桜庭吉彦 入替戦 23-19 秋田市役所(熊谷)
東日本社会人リーグ残留
1996-1997 東日本社会人リーグ 8位 0勝7敗 小林一郎 阿部佳知己 入替戦 66-21 秋田市役所(駒沢
東日本社会人リーグ残留
1997-1998 東日本社会人リーグ 7位 1勝6敗 高橋善幸 ダニー・カレオパ 入替戦 34-13 セコム江戸川
東日本社会人リーグ残留
全国社会人大会代表決定戦 10-22 クボタ(東京ガス大森グラウンド)
1998-1999 東日本社会人リーグ 8位 0勝7敗 高橋善幸 眞野篤司 入替戦 15-9 明治生命(駒沢)
東日本社会人リーグ残留
1999-2000 東日本社会人リーグ 7位 1勝6敗 高橋善幸 青山敦司 入替戦 30-12 日本IBM(江戸川)
東日本社会人リーグ残留
2000-2001 東日本社会人リーグ 8位 0勝7敗 高橋善幸 青山敦司 東日本社会人チャレンジリーグ 3位
関東社会人リーグ1部に降格

釜石シーウェイブス時代[編集]

シーズン 所属リーグ 順位 勝敗 ヘッドコーチ[注 8] 主将 備考
2001-2002 関東社会人リーグ1部グループA 4位 5勝2敗 高橋善幸 池村章宏 チャレンジリーグ出場決定戦 17-22 清水建設ブルーシャークス(NTT仙台総合運動場)
2002-2003 関東社会人リーグ1部グループB 1位 7勝0敗 桜庭吉彦 池村章宏 トップイースト10に参入
全国社会人大会代表決定戦 26-78 NEC(秩父宮)
2003-2004 トップイースト10 3位 6勝3敗 桜庭吉彦 池村章宏 トップイーストプレーオフ 31-27 三菱重工相模原(秩父宮)
トップチャレンジ2出場(3チーム中2位)
日本選手権出場
2004-2005 トップイースト10 5位 4勝4敗1分 桜庭吉彦 池村章宏
2005-2006 トップイースト10 8位 2勝6敗1分 桜庭吉彦 池村章宏
2006-2007 トップイースト11 6位 5勝5敗 池村章宏 津嶋俊一
2007-2008 トップイースト11 6位 4勝6敗 池村章宏 篠原洋介 イーハトーブリーグが設立
2008-2009 トップイースト11 6位 7勝3敗 池村章宏 ピタ・アラティニ
2009-2010 トップイーストリーグ 5位 6勝4敗1分 池村章宏 ピタ・アラティニ
2010-2011 トップイーストリーグ 4位 7勝4敗 池村章宏 ピタ・アラティニ
2011-2012 トップイーストリーグ1部 4位 6勝3敗 ホッダー・ポール 佐伯悠
2012-2013 トップイーストリーグ1部 3位 6勝3敗 ホッダー・ポール 佐伯悠
2013-2014 トップイーストリーグ1部 3位 7勝2敗 ホッダー・ポール 佐伯悠
2014-2015 トップイーストリーグ1部 2位 7勝2敗 三浦健博 須田康夫 トップチャレンジ2出場(3チーム中1位)
トップチャレンジ1出場(4チーム中4位)
トップリーグ入替戦 5-34 クボタ(熊谷)
トップイーストリーグ残留
2015-2016 トップイーストリーグ1部 2位 8勝1敗 三浦健博 須田康夫 トップチャレンジ2出場(3チーム中2位)
2016-2017 トップイーストリーグ1部 3位 7勝2敗 三浦健博 須田康夫 トップチャレンジリーグ参入マッチ出場(3チーム中1位)
トップチャレンジリーグに参入
2017-2018 トップチャレンジリーグ 7位 2勝4敗1分(1st)
1勝2敗(2nd)
小村淳 須田康夫 入替戦 55-19 大阪府警(東京ガス)
トップチャレンジリーグ残留
2018-2019 トップチャレンジリーグ 7位 2勝5敗(1st)
1勝2敗(2nd)
桜庭吉彦 小野航大 入替戦 41-7 中部電力ラグビー部(釜石復興)
トップチャレンジリーグ残留
2019-2020 トップチャレンジリーグ 4位 3勝3敗1分 桜庭吉彦 小野航大
2020-2021 トップチャレンジリーグ 5位 1勝2敗(Aグループ・3位)
順位決定戦(5位決定戦勝利)
桜庭吉彦 小野航大

2022-23シーズンの順位[編集]

JAPAN RUGBY LEAGUE ONE 2022-23 Division 2 順位表(2023年1月29日時点[15] 編集
チーム 試合数 勝ち点 得点 失点 得失差
1 浦安D-Rocks 4 18 4 0 0 199 86 113
2 三重ホンダヒート 4 14 3 0 1 151 76 75
3 豊田自動織機シャトルズ愛知 4 13 3 0 1 147 119 28
4 日野レッドドルフィンズ 4 7 1 0 3 124 124 0
5 釜石シーウェイブス 4 4 1 0 3 96 209 -113
6 清水建設江東ブルーシャークス 4 0 0 0 4 68 171 -103
  • 勝ち点は、勝ち4点、引き分け2点、負け0点。[16]
  • ただし、7点差以内の負けは1点を付与、3トライ差以上での勝ちは追加で1点を付与。
  • 同じ勝ち点である場合は下記の順番で順位を決定する。
  1. 勝ち点
  2. 勝利数
  3. ①および②が同数であったチーム間の勝ち点
  4. ①、②および③が同数であったチーム間の得失点差
  5. 全試合の得失点差
  6. 当該チーム間のトライ数
  7. 全試合でのトライ数
  8. 当該チーム間のトライ後のゴール数
  9. 全試合でのトライ後のゴール数
  10. 抽選

2022-23シーズンのスコッド[編集]

釜石シーウェイブスRFC2022-23シーズンのスコッドは下記のとおり[17]

ヘッドコーチ: 須田康夫

選手 ポジション 身長 体重 誕生日(年齢[18] 登録区分[19]
高橋拓也 プロップ 172cm 100kg (1992-03-06)1992年3月6日(30歳) カテゴリA
杣澤誠 プロップ 174cm 110kg (1994-11-30)1994年11月30日(28歳) カテゴリA
束田涼太 プロップ 183cm 110kg (1996-04-30)1996年4月30日(26歳) カテゴリA
鈴木淳司 プロップ 173cm 105kg (1997-08-15)1997年8月15日(25歳) カテゴリA
寺脇駿 プロップ 171cm 115kg (1998-03-26)1998年3月26日(24歳) カテゴリA
長田将大 プロップ 180cm 115kg (1998-06-01)1998年6月1日(24歳) カテゴリA
稲田壮一郎 プロップ 172cm 113kg (1999-04-20)1999年4月20日(23歳) カテゴリA
野口大貴 プロップ 183cm 114kg (1999-04-20)1999年4月20日(23歳) カテゴリA
吉田竜二 フッカー 176cm 100kg (1988-02-03)1988年2月3日(34歳) カテゴリA
隈本浩太 フッカー 172cm 103kg (1988-11-24)1988年11月24日(34歳) カテゴリA
伊藤大輝 フッカー 176cm 106kg (1994-05-17)1994年5月17日(28歳) カテゴリA
王野尚希 フッカー 175cm 98kg (1996-09-04)1996年9月4日(26歳) カテゴリA
西井利宏 ロック 185cm 107kg (1990-12-03)1990年12月3日(32歳) カテゴリA
タタナダラス ロック 189cm 110kg (1991-08-27)1991年8月27日(31歳) カテゴリA
山田龍之介 ロック 188cm 105kg (1991-10-12)1991年10月12日(31歳) カテゴリA
ベンジャミン・ニーニー ロック 200cm 110kg (1993-05-12)1993年5月12日(29歳) カテゴリC
高橋聡太郎 ロック 186cm 99kg (1994-07-30)1994年7月30日(28歳) カテゴリA
美﨑正次 ロック 182cm 101kg (1996-12-04)1996年12月4日(26歳) カテゴリA
セルジオ・モレイラ ロック 194cm 107kg (2000-07-11)2000年7月11日(22歳) カテゴリB
武者大輔 フランカー 177cm 96kg (1990-05-18)1990年5月18日(32歳) カテゴリA
サム・ヘンウッド フランカー 186cm 107kg (1991-03-28)1991年3月28日(31歳) カテゴリB
河野良太 フランカー 169cm 88kg (1995-12-07)1995年12月7日(27歳) カテゴリA
中野裕太 ナンバー8 180cm 100kg (1989-11-16)1989年11月16日(33歳) カテゴリA
セタ・コロイタマナ ナンバー8 187cm 100kg (1995-06-01)1995年6月1日(27歳) カテゴリB
南篤志 スクラムハーフ 173cm 85kg (1993-08-06)1993年8月6日(29歳) カテゴリA
村上陽平 スクラムハーフ 173cm 80kg (1998-05-20)1998年5月20日(24歳) カテゴリA
東海林拓実 スクラムハーフ 163cm 71kg (1999-06-14)1999年6月14日(23歳) カテゴリA
ジョシュア・スタンダー スタンドオフ 183cm 90kg (1994-01-01)1994年1月1日(28歳) カテゴリB
中村良真 スタンドオフ 172cm 80kg (1994-11-27)1994年11月27日(28歳) カテゴリA
片岡領 スタンドオフ 180cm 82kg (1998-03-11)1998年3月11日(24歳) カテゴリA
片岡将 ウイング 174cm 80kg (1987-12-30)1987年12月30日(34歳) カテゴリA
小野航大 キャプテン ウイング 170cm 82kg (1991-12-15)1991年12月15日(31歳) カテゴリA
菅原祐輝 ウイング 168cm 75kg (1995-04-07)1995年4月7日(27歳) カテゴリA
佐々木絃 ウイング 175cm 77kg (1997-10-20)1997年10月20日(25歳) カテゴリA
下山輝 ウイング 165cm 76kg (1999-07-04)1999年7月4日(23歳) カテゴリA
阿部竜二 ウイング 167cm 80kg (1999-09-23)1999年9月23日(23歳) カテゴリA
石垣航平 センター 183cm 98kg (1993-06-25)1993年6月25日(29歳) カテゴリA
佐々木裕次郎 センター 174cm 84kg (1993-12-27)1993年12月27日(28歳) カテゴリA
村田オスカロイド センター 173cm 77kg (1994-01-02)1994年1月2日(28歳) カテゴリA
福士周太 センター 178cm 87kg (1994-08-15)1994年8月15日(28歳) カテゴリA
ヘルダス・ファンデルヴォルト センター 184cm 102kg (1995-04-20)1995年4月20日(27歳) カテゴリB
畠中豪士 センター 178cm 90kg (1996-09-25)1996年9月25日(26歳) カテゴリA
吹越大清 センター 180cm 92kg (1998-02-17)1998年2月17日(24歳) カテゴリA
ダリエス・トマス センター 183cm 83kg (2003-10-20)2003年10月20日(19歳) カテゴリB
船木海都 フルバック 175cm 88kg (1995-11-25)1995年11月25日(27歳) カテゴリA
キャメロン・ベイリー フルバック 191cm 100kg (1996-02-21)1996年2月21日(26歳) カテゴリB
千葉健 フルバック 171cm 85kg (2002-08-30)2002年8月30日(20歳) カテゴリA

過去の所属選手[編集]

富士鉄釜石/新日鉄釜石時代[編集]

※は釜石シーウェイブス時代にも選手として在籍した選手。太字は元日本代表選手。

釜石シーウェイブス時代[編集]

太字ラグビーユニオンの代表に選出されたことがある選手。

スポンサー[編集]

以下は、公式サイトにて確認できるスポンサーの一覧である。

メディア[編集]

テレビ・ラジオ
新聞

書籍[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ a b この年の日本選手権アジア選手権と日程が重なり、日本代表に多くの選手を供給していた近鉄トヨタ自工が出場辞退したことに伴う代替出場。詳細経緯は第7回日本選手権の辞退を参照。
  2. ^ 1982年から1984年は監督を兼任した。
  3. ^ 1981年に監督を兼任した。
  4. ^ この時はコカ・コーラに勝利したが、豊田自動織機に敗れ、1勝1敗で2位で終わり、入れ替え戦に進出できなかった。
  5. ^ 三菱重工相模原に勝利したのは2008年9月以来、約6年4ヶ月ぶりである。
  6. ^ a b c d リコーと両チーム優勝。日本選手権には抽選で新日鉄釜石が出場。
  7. ^ a b 抽選で敗退
  8. ^ 2001-2002シーズンと2018-2019シーズンは監督

出典[編集]

  1. ^ グラウンド案内 - 公式ホームページ
  2. ^ マスコット 釜石シーウェイブス公式ホームページ
  3. ^ マスコット なかぴー | 釜石シーウェイブスRFC” (日本語) (2021年11月15日). 2022年9月1日閲覧。
  4. ^ No.230 ラグビー伝説の新日鉄釜石 7連覇の軌跡を発掘!、NHK番組発掘プロジェクト、2019年4月19日、同年4月22日閲覧
  5. ^ ラグビーの奥深さ まちの復興にきっと役立つ
  6. ^ 東日本社会人チャレンジリーグ - 関東ラグビーフットボール協会
  7. ^ 釜石のラグビーを考える東京大学社会科学研究所
  8. ^ マコーミックら新戦力7人発表 岩手日報 2002年4月1日
  9. ^ 関l社会人1部Bグループ - 関東ラグビーフットボール協会
  10. ^ “北の鉄人”被災地で奮闘「力仕事は任せろ」 スポーツニッポン 2011年3月16日
  11. ^ 活動自粛の釜石シーウェイブス、練習再開 ラグビー asahi.com 2011年5月4日
  12. ^ 松尾雄治氏ら「スクラム釜石」設立 サンケイスポーツ 2011年5月5日
  13. ^ ラグビー新リーグ名称は「リーグONE」22年1月7日開幕 1部は神戸製鋼、パナソニックら12チーム”. ヤフースポーツ (2021年7月16日). 2021年7月16日閲覧。
  14. ^ a b 東日本社会人リーグ7位だったが東北優先条項で出場。そのため6位のサントリーが入れ替え戦に出場した。HISTORY OF SUNGOLIATH
  15. ^ 順位 - JAPAN RUGBY LEAGUE ONE
  16. ^ NTTジャパンラグビー リーグワン2022-23 大会概要およびアーリーエントリーについて - JAPAN RUGBY LEAGUE ONE
  17. ^ 釜石シーウェイブスRFC 選手一覧 - JAPAN RUGBY LEAGUE ONE
  18. ^ 年齢は2022年12月17日の開幕時点のもの
  19. ^ カテゴリ A(日本代表の実績または資格あり)試合登録枠:17 名以上 同時出場可能枠:11 名以上。カテゴリ B(日本代表の資格獲得見込み)試合登録枠:任意 同時出場可能枠:任意。カテゴリ C(他国代表歴あり等、カテゴリ A, B以外)試合登録枠:3名以下

日本製鉄のスポーツチーム[編集]

現在活動しているスポーツチーム
かつて活動していたスポーツチーム

関連項目[編集]

外部リンク[編集]