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*:「北帰行」の項に、両バージョンの歌詞やエピソードが掲載されている。
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2006年3月3日 (金) 08:42時点における版

北帰行 (ほっきこう) は1961年 (昭和36年) にヒットした日本の歌謡曲である。歌手小林旭。原歌は、旧制旅順高等学校 (旅高) の愛唱歌 (広義の寮歌)。

基本データ

歌詞・曲ともに著作権が消滅していないJASRAC管理楽曲であり、利用には注意が必要である。(JASRAC作品コード 077-0199-3)

なお、歌謡曲版と寮歌版とでは、歌詞・曲ともに若干異なる。歌謡曲版の歌詞は 3番までだが、寮歌版は 5番まで存在する。

概要

作者 宇田博は元々建国大学予科 (満州国新京) の生徒だったが半年で退学となり、昭和15年 (1940年)、開校したばかりの旧制旅順高等学校に入学した。宇田は同校の第一回寮歌 『薫風通ふ春五月』 (村岡楽童 作曲) を作詞している。しかし戦時体制下の新設校だった同校に、宇田の望んだバンカラで自由な校風は存在せず、彼は常々生活指導の教官に目を付けられていた。

昭和16年 (1941年) 5月、宇田はメッチェン (女の子) とデートして戻ったところを教官に見つかり、"性行不良"で退学処分となった。彼が同校への訣別の歌として友人たちに遺した歌が、この 北帰行 である。そのため、同校の正式の寮歌ではないが、広義の寮歌として歌われてきた。宇田はその後 内地に渡り、 旧制第一高等学校 (一高) を卒業した。彼は東京大学を経て東京放送 (TBS) に入社し、後に同社の常務・監査役を歴任している。

継承

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旧制旅順高等学校は、昭和20年 (1945年) 8月、日本の第二次世界大戦敗戦と共に廃校となった。他の旧制高等学校と異なり後身校は存在せず、寮歌としての歴史はここで終了となった (寮歌祭では、同校同窓生により寮歌の一つとして歌われ続けている)。一方で、この歌は戦後、歌声喫茶で作者不詳の歌として流行した。恐らく、作者の卒業した一高・東大あたりから歌声喫茶に広まったものと思われるが、詳らかでない。

昭和36年 (1961年)、この歌は日本コロムビアのプロデューサや小林旭に見い出され、同社からレコード化されて大ヒットした。(この際 作者捜しが行われ、当時 TBS社員だった宇田の名乗り出 および 旅順高校時代の友人が持っていたメモから、作者が確定したという。) 歌のヒットにより、小林が主演する映画 『渡り鳥シリーズ』 (日活) の昭和37年 (1962年) 正月封切り版 『北帰行より 渡り鳥北へ帰る』 の主題歌となった。

関連項目

書籍

(この項スタブ)

  • 『平成の愛唱寮歌八十曲選』 (尾崎良江著、1997年11月、国書刊行会 刊。ISBN 4336040443)

外部リンク