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2012年9月22日 (土) 23:57時点における版
阿部 正蔵(あべ しょうぞう、生年不詳 - 嘉永元年9月4日(1848年9月30日))は、江戸時代後期の旗本で、江戸北町奉行。白河藩の分家で石高は3,000石。官位は従五位下遠江守。
天保12年6月24日に天保の改革時の大坂西町奉行となった。物価が騰貴した原因は、株仲間解散令により大坂への物資廻送量の減に起因するとし、問屋商人を通した流通統制強化の提言を行った。天保14年(1843年)2月24日江戸北町奉行となり、同年10月1日に小姓組番頭に転じた。長男の阿部正定は阿部宗家(備後福山藩)を継ぎ、次男阿部正外は父の跡を継ぐものののちに幕命で阿部豊後守家(陸奥白河藩)を継ぎ老中となり、三男阿部邦之助は兄の正外が宗家を相続するにあたり養家曾根家から実家に戻りこれを相続し、のちに沼津兵学校創始者となっている。
参考文献
- 幕末維新人名事典(宮崎十三八・安岡昭男編 新人物往来社)
- 大阪市史 第2巻