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2023年12月5日 (火) 06:32時点における版
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府京都市 |
生年月日 | 1953年8月2日 |
身長 体重 |
180 cm 90 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1971年 ドラフト5位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督・コーチ歴 | |
この表について
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中嶋 愛和(なかじま よしかず、1953年8月2日[1] - )は、京都府京都府出身のの元プロ野球選手(内野手)、アマチュア野球指導者。
来歴・人物
京都商業高等学校[2]では、1971年夏の甲子園府予選準決勝に進むが、花園高に惜敗し京滋大会には進めなかった。同年のドラフト会議で中日ドラゴンズより5位で指名され入団。
高校時代の3年間で17本塁打を記録し、「僕はホームラン打者になりたいです」と大物打ちを宣言して人目を引いた。中島を発掘したスカウト・法元英明は「中島君は高校生の長距離打者にしては珍しく、荒っぽいところがないので、案外早く一軍に出るチャンスがありそうだ」と評した。しかし4年間在籍するが一軍出場はなく、1975年限りで引退。
引退後はアシックスに勤務、2004年からは富士大学の硬式野球部総監督をつとめる。2010年から環太平洋大学の硬式野球部監督となり、同年はチーム初の全国大会となる明治神宮野球大会出場に貢献した。2012年限りで退任した。
詳細情報
年度別打撃成績
- 一軍公式戦出場なし
背番号
- 44 (1972年 - 1975年)