コンテンツにスキップ

「中嶋愛和」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 京都先端科学大学附属高等学校関連カテゴリの付け替え (Category:京都先端科学大学附属高等学校出身の野球選手) - log
62行目: 62行目:
[[Category:日本の野球選手]]
[[Category:日本の野球選手]]
[[Category:中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手]]
[[Category:中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手]]
[[Category:京都学高等学校出身の野球選手]]
[[Category:京都先端科大学附属高等学校出身の野球選手]]
[[Category:アシックスの人物]]
[[Category:アシックスの人物]]
[[Category:日本の野球監督]]
[[Category:日本の野球監督]]

2023年12月5日 (火) 06:32時点における版

中嶋 愛和
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府京都市
生年月日 1953年8月2日
身長
体重
180 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 内野手
プロ入り 1971年 ドラフト5位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

中嶋 愛和(なかじま よしかず、1953年8月2日[1] - )は、京都府京都府出身のの元プロ野球選手(内野手)、アマチュア野球指導者

来歴・人物

京都商業高等学校[2]では、1971年夏の甲子園府予選準決勝に進むが、花園高に惜敗し京滋大会には進めなかった。同年のドラフト会議中日ドラゴンズより5位で指名され入団。

高校時代の3年間で17本塁打を記録し、「僕はホームラン打者になりたいです」と大物打ちを宣言して人目を引いた。中島を発掘したスカウト・法元英明は「中島君は高校生の長距離打者にしては珍しく、荒っぽいところがないので、案外早く一軍に出るチャンスがありそうだ」と評した。しかし4年間在籍するが一軍出場はなく、1975年限りで引退。

引退後はアシックスに勤務、2004年からは富士大学の硬式野球部総監督をつとめる。2010年から環太平洋大学の硬式野球部監督となり、同年はチーム初の全国大会となる明治神宮野球大会出場に貢献した。2012年限りで退任した。

詳細情報

年度別打撃成績

  • 一軍公式戦出場なし

背番号

  • 44 (1972年 - 1975年)

出典

関連項目