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ノート:サン・ジョルディの日

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改名提案

「聖名祝日」としての正式な日本語名は何であるかも気になるのですが(ただし、宗派によって異なりそうな気が)、少なくともスペイン語の名前でページが立てられているのはおかしいと思います。私はてっきり「スペイン(語圏)特有の祝日」かと思ってしまいましたよ。

元の聖人のページが「ゲオルギウス」で立てられておりますゆえ、こちらもとりあえず「ゲオルギウスの日」とするのが妥当だと思います。--PRUSAKiN 2010年12月21日 (火) 06:27 (UTC)[返信]

コメント 改名の方向性(スペイン語名ではなく、記事名の統一、および汎用性の高い記事名に)については賛成します。ただ、本記事の他言語リンクとの関連で、他言語の記事がスペインの祝日をメインに据えた記事なのであれば、本記事をそのままの記事名とし、あくまでスペインの祝日の説明に絞った記事に特化させるというのも手段の一つではありますが。なお、申し訳ありません、この提案で気づいたため、ゲオルギウスの方にも改名提案を出させて頂いております。詳しくはノート:ゲオルギウスを御参照下さい。--Kinno Angel 2010年12月21日 (火) 06:40 (UTC)[返信]

: 反対 「サン・ジョルディの日」として国内外で特に有名であるため、こちらはこのままがいいと思います。「ゲオルギウスの日」や「セントジョージの日 」という言い方のほうがマイナー。google検索でもサン・ジョルディの日が約 214,000 件で、後者二つがともに7000代です。"ゲオルギウスの日"として、祝祭が行われている土地があるのでしょうか? 聞いたことがあるのは、サン・ジョルディの日とセイト・ジョージズ・デイです。人名をラテン読みにしようとするあまり、祝祭の名前が正式な名称と言えなくなる可能性があります。ラテン語は結局は死語ですから・・。もっとも通用する呼び方を記事名とするという原則に外れるでしょう。また現在の記事の内容がスペインの話がほとんどです。参考書籍も全部「サン・ジョルディ」を含む本。検討も、各国の内容が補充されてからでもいいとお思います。--LaBedoyere 2010年12月21日 (火) 11:41 (UTC)[返信]

コメント あちらのページを「ゲオルギス」にするのであれば、こちらも「ゲオルギスの日」にするよう提案を変更致します。向こうのページの決定後にこちらを決定したいと思います。
私はロシア史関係のページを書いていて、そこに出てきたロシア正教の祝日 Юрьев день に相当する日本語版ウィキペディアのページを探したところ、なぜかスペイン語で作成されているのに気付きました。従って、他言語版に関して言えば、 他言語の記事がスペインの祝日をメインに据えた記事 ということは絶対にありません(ただし、私が読めない言語のページについては把握しておりませんが)。詳細は、他言語版をお読み下さい。
「サン・ジョルディの日」として国内外で特に有名である ということが客観的に理解できる出典(参考文献)が付けられておりません。お言葉ですが、客観的根拠が示されていないので、それは「気のせいです」と申し上げることも可能です。また、 2009年7月26日 (日) 05:44 から貼られっぱなしのテンプレート{{国際化}}の存在についてはどうお考えになるのでしょうか。
しばしば もっとも通用する呼び方を記事名とするという原則 の重要性を過大評価しなさっている人がいらっしゃいますが、その話はウィキペディアの三大原則のひとつである中立的観点に優先するほど重要な「原則」ではありません。スペイン(語圏)特有の祝日でないにも拘らず、なんら正当性なく「有名だから」という曖昧な根拠だけでスペイン語に偏った非中立的なページ名を採用するのは、ウィキペディアの原則に著しく違反します。
なお、 人名をラテン読みにしようとするあまり という文面を見る限りどうも誤解されたようですが、私はページ名をラテン語名にしようと考えているわけではありません。改名提案で書きましたように、聖人のページのページ名に合わせる、というのが改名提案の趣旨です。従って、あちらがギリシャ語名になるんでしたら、こちらもギリシャ語名にしましょう。聖人のページが「サン・ジョルディ」ないし「ジョルディ」なのであれば、こちらも現状でよろしいでしょう。--PRUSAKiN 2010年12月21日 (火) 13:21 (UTC)[返信]

:: コメント 中立性は関係ないでしょう。別にスペイン贔屓なわけじゃないし・・・。聖ゲオルギオス=サン・ジョルディであり、同名の同一人物ですよ。ゲオルギオスを使う親ギリシア(ロシア)派で、サン・ジュルディを使うひとが親カタルーニャ(スペイン)派と色分けできるようなイデオローグがあるわけでもなんでもなく、単なる欧州言語での発音表記の問題なだけです。中立的観点を持ち出すような問題とは到底思えません。ただの基準の問題です。記事名の付け方にある基準には、認知度が高い見つけやすいなどが挙げられていますし、正式な名称を使うこととも有ります。「ゲオルギオスの日」は、日本で、認知度が高い祝日の名称とは言えませんし、そもそもするにしても理屈から言って「ゲオルギオスの日」でしょう。これでのヒット数は約 210 件です。また正式名と日本でされているかもハテナです。国際化テンプレートについては中途半端な翻訳で終わっていることが原因であり、記事の未完成を意味するだけです。書きかけの項目ということですよ。誰も書かないで放置状態というだけで、全く褒められたことではないですが、それ以上の意味があるとは思いません。本当は国際化のテンプレを貼って後知らんぷりじゃなくて、ちゃんと記事を書き足さねばならないのです。是非、あなたが取り組んでください。せっかくですから。

この祝日は、キリスト教国では幅広く祝われてますが、どこが有名かといえば、スペインとイギリス・英連邦の諸国。ま、それとロシアですか。ロシアについては余り詳しくありませんが、サン・ジョルディの日の花と本を送る習慣は、日本やアメリカでも知られて、(知ってる人が)行われるものです。恋人達の儀式なのでバレンタインと似てるので、知名度はあるでしょう。
私が一番問題だ思うのは、「ゲオルギオスの日」という呼称が日本でつかわているかです。日本で使われているという検証可能な出典はありますか? 私があなたを説得しているわけじゃなくて、提案者たるあなたが皆を説得させねばならないので、まずあなたが出典を示すのが説得力があると思いますけど・・・。記事名を変えても、ほとんどリダイレクトで来るというでは困ります。サン・ジョルディの出典はかなりありますよ。「子どもに教える 今日はどんな日?」 高橋 司、 「現代スペイン情報ハンドブック」 坂東 省次、 「地球の歩き方 バルセロナ&近郊の町とイビサ島・マヨルカ島 2010~2011」 地球の歩き方編集、「バルセロナの達人 右脳の生活術」 霞末 陽介、「Sant Jordi / Saint George: Conte Per Llegir a Les Fosques」 Ignasi Valios I Bunuel、「La llegenda de Sant Jordi」Gil Juan、・・・。ま、検索で見つけただけですが、もっと読書家ならさらに出典を知っていると思います。
聖人のページのページ名に合わせる、という趣旨は理解しますが、この記事は祭の名前であり、聖人の名前ではないです。だから全く同じでなくてはならないという必然性はあまりありませんし、欧州言語では名前が言語によって呼び方が違う、というのはコモンセンスであり、特にことさら取り立てて言うことなんでしょうか。やっぱり認知度が高いことが優先されるでしょう。どっちかが間違いというわけではないですからね。結局、ウィキは百科事典なので、調べやすい記事名であるということが、揃えることと同じぐらい重要になると思いますけど。「今日はサン・ジョルディの日といって男性はバラを女性は本を送る・・」みたいな話は普通に今日のニュースあたりで流れます。
で、知名度といえば、もちろん「セント・ジョージの日」にもあります。英語圏の方が世界としては広いので、ゲオルギオスよりもジョージと呼ぶ国が多いため、この呼称のほうが使われているといって過言じゃないでしょう。その点でも、なぜゲオルギオス?という疑問符が付きます。--LaBedoyere 2010年12月21日 (火) 14:43 (UTC)[返信]
コメント なぜ「ゲオルギオス?」よりも、なぜスペイン限定の「サン・ジョルディ?」の方が問いかけとして適当でしょう。
単なる欧州言語での発音表記の問題なだけです。中立的観点を持ち出すような問題とは到底思えません。
LaBedoyereさんは仰いますが、--PRUSAKiNさんの仰る通り、完全に中立的観点の問題です。端的に言ってスペイン語優遇でしかありません。もしスペインの祝祭限定の記事を志向するのなら全く無問題ですが。そもそも英語圏・ロシア語圏のことまで記事を発展させようとした場合、スペイン語表記を使うというのがもう意味不明です。
記事改名の方向性には 賛成 票を改めて表示しておきます。--Kinno Angel 2010年12月21日 (火) 14:55 (UTC)[返信]
あと、
ゲオルギオスを使う親ギリシア(ロシア)派で、サン・ジュルディを使うひとが親カタルーニャ(スペイン)派と色分けできるようなイデオローグ
と仰っておいでですが、キリスト教におけるギリシャ語の汎用性(東西両教会のいずれでも頻繁に使われる)について、ぜひ認識して頂きたいと思います。--Kinno Angel 2010年12月21日 (火) 14:57 (UTC)[返信]

: コメント じゃ、仮に呼び方が中立的かどうかという問題だとしても、スペインの祭(祭日)は、サン・ジョルディの日なわけです。イギリスやカナダの祭はセント・ジョージズ・デイですよ。使われてないラテン語表記で、中立だとして・・・どうするのか意味不明だと思います。そりゃ中立でしょうよ、ほとんど使われてませんから。使われない言葉を記事名にすることが、誇らしいことかよく分かりません。しかしラテンにしろギリシャにしろ、中立なんでしょうか? ゲオルギオスの使用がギリシャ正教寄りではないと断言できないと思いますけど、違いますか? もちろん私の考える基準では、この場合は、中立性はあまり関係ないと思うという立場ですけど。

ま、もっとマトモなのは、どうせ、現在のページはスペインの祭のことしか書いてないし、ゲオルギオスを起源にするにしても、別の国の別の祭・祭日であることに違いはないので、別のページに書いたらどうです? 例えばサン・ジョルディの日 (スペイン)セント・ジョージの日 (英語圏)・・・でもいいんじゃないの。使われてない名称を使うよりも。
あとなぜ『なぜ「ゲオルギオス?」よりも、なぜスペイン限定の「サン・ジョルディ?」』の答えは明らかですよ。
最初に記事を書かれた方が、スペインのサン・ジョルディの記事を書こうとしていたからですよ。このページは翻訳記事ではないので、すべてが備わってないのは当然ですし、英語版などと同じではないです。世界的視点といっても、祭や祭日みたいなものは、地域性があるものなので、世界中のすべてが同じものという認識が間違っているような気もします。 あと、記事名を変えた後、PRUSAKiNKinno Angel のお二方は、世界的観点からの記事として十分な分量をもつものに書き換える準備があるということですか? 現状はほぼスペインのみですよね。 --LaBedoyere 2010年12月21日 (火) 15:33 (UTC)[返信]

:: コメントやはり一番重要なのは記事の内容ですから、私はもしお二方かそのどちらかが、しっかりした十分分量と説明を備えた世界的視点の「ゲオルギオスの日」の記事、サン・ジョルディもればセント・ジョージもある、詳しく書かれている記事に作り上げるなら、それの努力を見て意見を変えることはやぶさかではないです。記事名は変えたけど、記事の内容はサン・ジョルディのまま・・では意味がないですよ。--LaBedoyere 2010年12月21日 (火) 15:51 (UTC)[返信]

反対 「サン・ジョルディの日」は、本と花を贈る(交換する)日として定着しつつあります。巻末リンクを見ても「こども読書の日」や本と花を贈る(交換する)日としての「サン・ジョルディの日」のリンクばかりです。たとえ「ゲオルギウスの日」に移動しても、本と花を贈る(交換する)日としての「サン・ジョルディの日」についての記述は利用者、読者のことを考えると必要になってきてしまいますし、「サン・ジョルディの日」にもどしたいという議論だって出てきかねません。ですから、Kinno Angel さんのおっしゃるように「スペインの祝日の説明に絞った記事に特化させ」るか、習慣化しつつある「サン・ジョルディの日」の記事をつくるかになります。このような記念日関連に近いと思われるのは、歴史的事件人名国名であり、そこから考えても「広く通用していると思われる名前」、「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称」を選ぶべきと考えます。

というのは、アラビアにあるメッカについて、マッカのほうが原語の発音としては正しいという議論がありましたが、結果的に一般的に定着している「メッカ」になっています。また「バレンタイン・デー」など似たような性質の記事について整合性という意味で波及しかねません。カトリックの聖人の日が日本では定着していないのに「ゲオルギウスの日」だけあるのも不思議な話です。

さらにLaBedoyere さんのご指摘のように「祭や祭日みたいなものは、地域性があるもの」で「世界中のすべてが同じものという認識」はおかしいのでは、という議論には首肯できます。日本独自の祝日は他国には適用されないのは論をまたないし、ホワイトデーは東アジア限定であったり、韓国のブラックデーは、まさしくそういった例にあたります。また、初版執筆者の方が「スペインのサン・ジョルディの記事を書こうとしていた」ことから、スペイン限定および日本の「本と花を贈る(交換する)日」としての「サン・ジョルディの日」になるのは必然的です。これを「ゲオルギウスの日」としてしまうと記述が混乱してしまい、分割しようかという議論が起こってしまうと本当になんのための議論をしたのかわからなくなってしまいます。---くらわ 2010年12月21日 (火) 17:32 (UTC)[返信]

コメント 基礎的な知識の無いままに議論をお進めになっていることを、御自覚頂けないでしょうか…ああいや、急いで断っておきますが、知識が無ければ議論に参加するなとは申してはおりませんです。ただ…ちょっとこういう事↓を言われますと頭が痛いというか何と言うか…
ゲオルギオスの使用がギリシャ正教寄りではないと断言できないと思いますけど、違いますか?
断言出来ます。ラテン教父ならいざ知らず、ギリシャ語表記っていうのは最も汎用性が高い。「新約聖書がギリシャ語で書かれている」事情は勿論ご存知ですよね?聖書は東西いずれでも使われます。それにむしろ日本の正教会では「ゲオルギイ」のように、教会スラヴ語再建音表記が主流です。その辺の事情はノート:キュリロス (スラヴの(亜)使徒)に明らかですので御確認下さい(教会スラヴ語再建音表記の提案から、ギリシャ語転写へ、ローマ・カトリックへのNPOV配慮の議論を経て)。「ギリシャ語=正教」なんていう御認識については、ちょっと前提知識を再確認頂きたいものです。
それにギリシャ正教会に最も配慮する表記は、現代ギリシャ語転写を最大限に活かした「イェオルイオス」って事になるかもしれません(無論そんな提案はしません)。
私としましては「初版執筆者の意図」と「記事の現状」が整合していない事がそもそもの問題と思われます。
  • 初版執筆者の意図(だったかもしれない) - スペインの祝日に特化した記事
  • 加筆者の意図 - スペイン以外の祝日の記述と、他言語版のリンク
私は後者として記事の方向性を読み取った訳です。だから改名の方向性に賛成しました。もしスペインでの祝祭に特化した記事にするのであれば、記事名はそのままでも結構と思います。しかし以下の条件があります。
  • 他言語版は、私が英語版を参考にして作成する「聖ゲオルギオスの日」にリンクを改める(英語版はじめ他言語版の多くが、スペイン限定の記事にはなっていません)。
  • 本記事には{{Otheruses}}テンプレを冒頭に貼り、冒頭でスペインの祝祭に特化した記事にする旨を明記し、本稿からスペイン以外の節と、4月23日以外の日付の節を削除する。
従いまして、LaBedoyere さん、くらわさんへのお答えは殆ど済んでいるかと思いますが、お二方は、世界的観点からの記事として十分な分量をもつものに書き換える準備があるということですか?に対しては、議論の行方によっては記事「聖ゲオルギオス」の新規作成も吝かではないということになります。--Kinno Angel 2010年12月22日 (水) 00:41 (UTC)[返信]
まず「頭が痛い」とかいう侮蔑的表現は、この議論に相応しくないと思います。

:: コメント次に「ギリシャ語表記っていうのは最も汎用性が高い」と繰り返し言ってますが、検証可能な出典を示してください。Kinno Angel氏が、ノート:キュリロス (スラヴの(亜)使徒)で示される出典は、未検証の個人サイトで、他の方が示した出典はギリシャ語の汎用性を示すものではないように思われますし、というかどこにもそれを証明するというような議論も記されてはいません。ノート:キュリロス (スラヴの(亜)使徒)での議論では、そもそもあなたがギリシャ語表記からスラヴ表記に変えようと提案してます。あなたが汎用性にこの議論で気付いたということなんでしょうか・・・。グレコ・ローマン時代やルネッサンス時代ならいざ知らず、21世紀の現代で、ギリシャ語がラテン語よりも優越的に汎用性が高いという、Kinno Angel氏の主張は独自研究だと思われます。ウィキペディアで使う、または日本で一般的な新約聖書は、ギリシャ語読みしてません。少なくとも日本で、日本語で、ギリシャ語表記が汎用性がないのは確実で、そもそもギリシャ語を理解する日本人は全く少ないです。聖書研究でのヘブライ語や古代ギリシャ語の利用価値と、日本版ウィキペディアという百科事典での汎用性には、大きな違いがあります。これは当然でしょう。そして現在の問題は後者のみです。別に聖書研究でギリシャ語がどうこういっているわけではないし、聖書の原典を読もうという話でもないので、何か大きな勘違いをしているような気がしてなりません。

またこの議論を読む限り、Kinno Angel氏は正教会の信者かなんか知りませんが、極めて非中立的なのも明らかでしょう。むしろ驚くほど偏っているのでは? 少なくともサン・ジョルディの日やセント・ジョージの日のような、すでに非宗教的な祭になっている日の記事名の議論として、あなたは極めて宗教色が強いイデオローグを持っている。中立性の議論のときに書いたように、私は別にスペイン贔屓ではありませんが、Kinno Angel氏は明らかに正教会贔屓ですよね・・。
「記事「聖ゲオルギオス」の新規作成」と言ってますが、それはどこの祭として書くつもりなのでしょうか。英語版を翻訳するというつもりなら、なぜセント・ジョージではないのかという議論の蒸し返しになるだけだと思いますけど。英語版は半分ぐらいがセント・ジョージの日のことについての記事ですから。--LaBedoyere 2010年12月22日 (水) 03:03 (UTC)[返信]
>そもそもあなたがギリシャ語表記からスラヴ表記に変えようと提案してます。あなたが汎用性にこの議論で気付いたということなんでしょうか・・・。
違います。該当人物はスラヴで重要な聖人だからスラヴ語表記を提案したまでです。ちょっと読んだだけで憶測しないで貰えませんか?ちゃんと議論中にその旨、申しております。
別所でも何か勘違いなさっておいでのようですが、私も「何でもかんでもギリシャ語表記」と言っている訳ではありません。「東西両教会で重要視される聖人につきギリシャ語表記が最も中立的で汎用性が高い」と申しているまでです。
>次に「ギリシャ語表記っていうのは最も汎用性が高い」と繰り返し言ってますが、検証可能な出典を示してください。
超教派の『キリスト教大事典』で、東西両教会に重要な聖人の名(アタナシオス、アナスタシオス、メトディオス、ゲオルギオス)は軒並みギリシャ語表記になっています。尤も、該当する聖人の名だけはなぜかゲオルギウスとなっており、この事典の表記全てに私は賛同するものではありませんが。しかし少なくとも「サン・ジョルディ」とはなっていません。
Kinno Angel氏は明らかに正教会贔屓ですよね
繰り返しますが「正教=ギリシャ語表記」っていうのがそもそもの誤りあり、認識の甘さを露呈しています。日本正教会では教会スラヴ語再建音表記が主流です。もし私が正教贔屓をこの項目名に反映させるのであれば「聖ゲオルギイの日」としています(無論そんな提案はしませんが)。--Kinno Angel 2010年12月22日 (水) 03:49 (UTC)[返信]

コメントだからスペインのカタルーニャで重要視される聖人の祭の名前はサン・ジョルディの日じゃないの? イギリスまたは英語圏、英国国教会などで重要視される聖人の祭の名前はセント・ジョージの日じゃないの? すべてを全普遍的な名前にするべきという主張が妥当かということがまず問題で、Kinno Angel氏自身の主張に矛盾してると思いますよ。どこで重要視されているかを基準にするならば、普遍的たり得ません。また聖人とはいえ、祭日の名前が普遍的であるべきなのかも疑問です。--LaBedoyere 2010年12月22日 (水) 04:14 (UTC)[返信]

コメント 別に矛盾などしていませんよ。私は一貫して「スペインの祝日の記事としてなら現行名のままで良い」と繰り返し言っております。で、「聖ゲオルギオス」で別記事を立てても良い、と。どこが矛盾していますか?
すべてを全普遍的な名前にするべきという主張が妥当かということがまず問題で、
だれもそんなことは言って無いんですけれどね。「東西両教会のいずれでも、さらに幅広い地域で重要視される聖人であるから」という但し書きの意味が解りますか?私がラテン教父についてギリシャ語名を要求した事は無い筈ですが。--Kinno Angel 2010年12月22日 (水) 13:14 (UTC)[返信]
コメント 今でもギリシャ語の汎用性が高いと言うのは、キリスト教関係記事についてはその通りなのです。ギリシャ語は全教派で現役で非常に重要です。確かに西方ではラテン語が使われることが多かったのですが、これは和田幹男著『私たちにとって聖書とは何なのか』(p.138)によるとそれまで教会でギリシャ語が使われていたのが、教父テルトゥリアヌスによりラテン語で記述されるようになったとあります。しかし、アリスター・マクグラスの『キリスト教神学入門』などをご覧いただければわかりますが、宗教改革時代にヘブライ語ギリシャ語が強調されています。そして、プロテスタントが聖書を母国語に訳すようになったことはよく知られています。その後のプロテスタントでも神学者はラテン語で神学を記述しましたが、今日のプロテスタントはそうではありません。ローマ・カトリックでは今でも公文書はラテン語で書きますが、プロテスタントでそのようなことはなく、ヘブライ語、ギリシャ語はプロテスタントの神学校で必須ですが、ラテン語は必ずしも習うとはかぎらないのです。神学校のリンク先か『キリスト教年鑑』を見れば確認できるでしょう。宇田進著『福音主義キリスト教と福音派』はプロテスタントの正統神学構築時代の神学書がラテン語で書かれているために、知られていないと書いています。--イザヤ 2010年12月22日 (水) 15:58 (UTC)[返信]
報告 議論中ではありますが、この大幅編集を受け、カトリック、プロテスタントのことのみ書かれているので、正教圏についても加筆しておきました。記事がスペイン限定ではなく、別方面に発展する余地が大いにある事は指摘済みでしたが(それなのに「加筆する準備があるのか?」とか言われていましたが)、もはやそれが現実のものとなった訳です。--Kinno Angel 2010年12月22日 (水) 15:38 (UTC)[返信]
コメント 以上の加筆がありましたため、私の立ち位置を変更します。スペイン限定の記事として維持されるのであれば改名しなくとも良い、と申しておりましたが、現状すでにスペイン限定の記事ではなくなりました。
従いまして、改名もしくは分割(スペインの記事と、他の記事と。分割の場合には他言語版リンクはスペイン限定ではない記事の方に当然リンクすべきです)が必須であるとします。--Kinno Angel 2010年12月22日 (水) 15:41 (UTC)[返信]

:: コメント??? これが大幅なんでしょうか。ここの議論の半分もありませんよ。ただの翻訳ということか。私よりも遙かに知識がありそうなのに、結局、たったこれ以上の情報がないということでしょうか。要するに準備はなかったわけですね。私の言う準備とは、出典になる書籍や情報を持っていて、しっかりした記事を書くことです。翻訳の結果、出典は全部「セント・ジョージ」になりましたし、他の出典、特に正教の祭についての出典が全く記されてないのはかなり問題だと思います。出典の明記がなされていないし、記事は書きかけレベルといわざるえません。非常に残念です。分割の提案は、記事名の観点からは誰もが最初に思いつくことで、至極当然ですが、現状だと記事の育成の面からいえば、ほとんど絶望的ですね。これだけゲオルギオスに拘る人が、出典ぐらい足したらいいのにと思いますが、なんかうんちくの引き出し有るから言ってるのかと期待しましたが、これだけ五月蠅く拘る人が書かないんだから、他の人は書かないでしょうか。細かく分けたら細かく分けただけになる可能性大です。ま、それはそれでいいんだろうが、字引的になる?。

あと誤解の誤解のようですが、ギリシャ語が汎用性があるということ、汎用性の意味はもちろんわかっていると思いますが、それを理由にして、さらに中立性の問題だと(あなたが)いっているわけだから、それで記事名ゲオル・・・が普遍的だと考えているようにしか読めません。私はあなたが宗教的すぎることを指摘しましたが、無宗教などの立場からすれば、東西教会で云々を連呼する姿勢は非中立にしか見えません。ギリシャ語の汎用性という議論は、私の言っている汎用性・普遍的が示す範囲は非宗教世界を含めた現実世界全般のこと(つまり字義のあらわす本来のままの意味)で、Kinno Angel氏やイザヤ 氏の言っていることはキリスト教会の世界だけのことです。ここに大きなボタンの掛け違いがあるようです。議題は、ウィキペディアという百科事典の記事名であり、利用者はキリスト教徒以外も大いに含まれるわけで、私の視点は無宗教も含めた中立性です。そしてこれは祭日の名前です。キリスト教会への偏重と言い換えたらわかるのかな。そのなかでも青筋立ててギリシャだスラブだ云々と言い続けているので、Kinno Angel氏は正教よりに(文面から)見えるのですが、本人が違うっていうならそうなんでしょう。端からはそう見えてますけど、眼鏡のデブが紙袋もっているとアニメ好きだろと決めつけられるのと似たようなもんでしょうか。--LaBedoyere 2010年12月24日 (金) 04:29 (UTC)[返信]
コメント
LaBedoyereさんへ
??? これが大幅なんでしょうか。
大幅ですね。少なくともスペインだけの記事ではなくなっています。あと、英語版では各国の記念日ごとに分割されています。
キリスト教会の世界だけのこと
  • スペインの記事でもないものに(少なくとも現状ではそうなってます)スペイン語表記を適用するよりは、元になっている聖人の記事名と一致させるのがリーズナブル
  • 元になっている聖人の名前として最も中立的なのはギリシャ語表記
私が言っているのはこれだけなんですけれどね。あと、どうも余計なことばかり仰っておいでですが、最初に貴方は私のことを「ギリシャ正教贔屓」と断じたのであって、「キリスト教寄り」とは仰っていないのです。「正教贔屓ではない」ことが第三者から明らかになった段階で、今度は「宗教寄り」というのは、全く一貫性を欠いていること、また相手に対する根拠なき批判を勉強不足の段階で行ったことについて、勉強不足自体は誰にでも(勿論私にも)ありますが、一言何かあってもいいのではと思います。
そもそも「スペイン限定の記事ではないほどに加筆」された段階で、貴方の論拠は一つ崩れているのです。--Kinno Angel 2010年12月24日 (金) 15:54 (UTC)[返信]
ここの議論の半分もありませんよ。ただの翻訳ということか。私よりも遙かに知識がありそうなのに、結局、たったこれ以上の情報がないということでしょうか。要するに準備はなかったわけですね。私の言う準備とは、出典になる書籍や情報を持っていて、しっかりした記事を書くことです。
全て後出しジャンケン。全く人を馬鹿にした話です。大体ノートページの議論を分量の基準にするという時点で意味不明。私に対する言われなき中傷と合わせ、誠意が全く疑われますね。当ノートページにはコメント依頼も考えております。あと、翻訳記事は貴方が考えているほどに悪いものとはウィキペディアでは捉えられていません。その事は新着記事における評価にも現れていますよ。--Kinno Angel 2010年12月24日 (金) 16:00 (UTC)[返信]
ああ、あとこの編集は私のものじゃありません。LaBedoyereさんは利用者:Calveroさんによる翻訳の労も貶しています。--Kinno Angel 2010年12月24日 (金) 16:14 (UTC)[返信]

: コメント 別に翻訳がだめだとはいってませんが、未検証記事が問題だと言ってるだけです。私がいつ?翻訳がダメだと言いました? 理解に苦しみます。英語版の記事に出典がついてないのは翻訳前から分かっていたことです。『ただの翻訳ということか』の一言が、Kinno Angel 氏には翻訳記事はダメと曲解するにたる情報だったわけでしょうか。しかし早とちりですね。私、英語も読めるので、英語版の情報は目新しくなかったからこそのこの発言です。新規記事をつくるとかもったいぶった発言をしていたのに、翻訳者は別人で、Kinno Angel 氏が「大幅」にと嬉々として言って(いるように見えて)、その大幅加筆の合間に自分の投稿が消されているってのに少し可笑しさもあっての発言だったのですが。

また英語版から各国の祭について別記事(ĐurđevdanYuri's Day)があることを指摘してますが、それもまた別の名前でしょう。ギリシャ読みじゃない、各国語読みです。要するに英語版の方針も、(キリスト教内の)ギリシャ語の汎用性よりも、各国の地域性認知度がベースになって記事名ができているということの証左でしょう。そもそも英語版の記事のタイトルからしてセント・ジョージズ・デイなのに!
あと、Kinno Angel 氏は二点を上げてますが、分割案にも賛成していたのではないのでしょうか・・。また態度を変えて、ギリシャ語表記にこだわるわけでしょうか。毎回ですが、あなたは自分がどう考えているのか説明不足です。
根拠が崩れた的な発言は、単にKinno Angel 氏が私の主張を全く理解してないという表れでしかないですね。
それから準備がなかったことについては、最初にも書いているし、その後にも書いてますよね。分量は大幅かどうかの尺度であるだけで、それはKinno Angel 氏がこの程度の加筆で「大幅」と言ったので驚いただけです。それは準備とは別の話。準備については出典のことですよ、出典。出典を準備しないと記事は書けません。だから準備という表現なのです。検証可能性はウィキペディアの三本柱の一つです。これを軽視するというのでしょうか。私が最初から懸念し発言していたのは、そういう準備もなく記事名だけを変えようとするとか、自分では何もせずに誰かに任せるというのは無責任な行為であるということで、まさにそうなってしまいました。これを失望と言わずしてなんと言いましょう。
実際、「各国の内容が補充されてから」検討でいいのではと言っていたように、当初はサン・ジョルディの日で問題なかったのに、加筆があったことで、今度はどう分割するかという問題になってしまいました。しかも分割後はそれぞれの記事を加筆しなければならないので、そうなると、中立性の問題ではないという正しい認識があれば、最初からそれぞれの祭の別記事を各々で作れば早かったということなのです。要するにこの議論が全く無駄で、それが英語版のセント・ジョージの日から翻訳が載ったことで、話はむしろややこしくなりました。--LaBedoyere 2010年12月26日 (日) 07:40 (UTC)[返信]

2010年12月24日までの流れ

Kinno Angel氏の主張

2010年12月24日までの流れをまとめます。

ギリシャ語名を使う方向性が提案されたことに対し、まずLaBedoyere氏により「ギリシャ語名がギリシャ正教寄りである」と批判がなされ、次にギリシャ語は別にギリシャ正教寄りでなく全教派で汎用性が高いものであると分かると、今度は同氏はギリシャ語名はキリスト教内だけの中立性を確保するだけであると追及内容を翻し、さらにスペイン限定の記事なのであるからスペイン語名が妥当であるとしていた同氏であったが、スペイン限定の記事ではなくなる加筆がされたのに、「翻訳ではダメ、しっかりした記事ではない」として前言撤回(そもそも翻訳がダメなんてガイドラインにはどこにも書いていないんですけれどね)。--Kinno Angel 2010年12月24日 (金) 16:09 (UTC) [返信]

私のまとめが下でLaBedoyere氏が言うように「曲解」に満ちたものかどうかは、第三者に委ねましょう。「最初から攻撃的でした」というのも、氏の主観に過ぎません。--Kinno Angel 2010年12月26日 (日) 12:14 (UTC) [返信]

あと、「一方的な攻撃」についても、こちらの説明についてすべて「なぜか」「説明なし」「無説明」と断言していますが、これこそ「一方的攻撃」として台詞をお返ししたいところです。私としましては説明したつもりですが、これを氏がそう受け取ったという意味ならともかく、客観的に説明ゼロであるかのように言われるのは捏造でしかありません。具体的分割の方法について説明が無かったと言っても、議論が始まってからまだ時間が経ってないのに、何でスピーディに主張せねばならないのか理解に苦しみます(LaBedoyere氏は「忙しい」事を言い訳にしているんですが、相手にはその言い訳は許さないのでしょうかね)。これ以上は第三者に委ねます。いずれにせよ氏誤解のある書き込みが今後なされたり、あるいは質問があった時のみ、追加説明もしくは弁明を致します。--Kinno Angel 2010年12月26日 (日) 12:20 (UTC)下に詳述したので、ここまで小さくしました。[返信]

リンク付で(出典付で)上の流れをより分かり易く整理。

何だか「攻撃的」とか「中傷」とか色々言われていますが、「嬉々として」なんて表現までされて揶揄されているのを見ると…なんだかなあ。

それとですね

あと、Kinno Angel 氏は二点を上げてますが、分割案にも賛成していたのではないのでしょうか・・。また態度を変えて、ギリシャ語表記にこだわるわけでしょうか。毎回ですが、あなたは自分がどう考えているのか説明不足です。

語るに落ちているとはこういう事ですね。相手の言い分がよく分からないのに、それこそ膨大な長文で批判しているんですか?私は書いている事で全てです。意見変更した時にはそれを「報告」として表明していますし、理由も挙げています。--Kinno Angel 2010年12月26日 (日) 12:42 (UTC)[返信]

以上。ここの議論については第三者からの(緊急性を要するほどの)誤解に基づく批判か、第三者からの質問が無い限り、スローペースに落とします(体力的にもちませんので。早いペースでも返事は3日・4日ごとになります)。コメント依頼にも出しておりますし、二人だけでいつまでも言い合っていても仕方ありませんので。--Kinno Angel 2010年12月26日 (日) 12:47 (UTC)[返信]

「全教派」に限られる話題だと思いこんでいるのはKinno Angel氏だけではないかと思います。とか相手方は言っていますが、自分が「ギリシャ語表記はギリシャ正教寄り」「正教会贔屓」という誤った認識で論を立てていたことはLaBedoyere氏は自分の要約(というには長過ぎる長文)で全く触れていません。また相手にそのような偏見に満ちた中傷(「イデオローグ」「Kinno Angel氏は明らかに正教会贔屓」など)をぶつけたことに対する反省の弁が一言もありません。粘着的に「そもそもの発端がKinno Angel氏の侮蔑的発言にあるのは明らか」と長文で書き続けるだけです。私の議論はずっと「スペイン限定の記事ならばスペイン語記事で維持OK、但しスペイン限定の記事でなくなれば改名か、もしくは分割が必要」であり、「すぐに投稿し続けているのに分割の具体的方法を示さないのはどういうワケだ!」と言われても、「そんな速やかに案を出す義務は無いし、こちらにも考える時間が必要でしょう」でファイナルアンサーです。
あと、なんでもかんでも悪意にとるようですが、「また自分の都合の悪い発言が見えなくするように小文字にする」と言いますが、「どの辺が都合が悪い発言」なのか理解に苦しみます。「見えなくするように」って、小文字だって見えますよ。同じ趣旨の発言が繰り返されるのは可読性を損なうため小さくしただけです。--Kinno Angel 2010年12月27日 (月) 03:40 (UTC)[返信]

コメント 自分の発言に関するガイドラインをもう一度読んでください。自分の行為が誤解を招くものであるという認識を著しく書いています。Kinno Angel 氏が小さく部分が、完全に氏が私の意見を曲解していることを表現したものです。そのようなことは全く言っていないにもかからず、勝手な代弁を行っています。要するに氏が間違っている部分であり、それが何度も繰り返されていること自体が問題なのです。自分の行為を改めないで、人を非難する行為、これが全くKinno Angel氏の問題点です。私はころころ主張を変えていません。一貫して最初から同じ主張をしてますKinno Angel氏が勝手にそういっているだけで、それを説明するにこんなに長く書かねばならないということなんです。氏が間違った曲解をしなければ、長文なんてかかなくて済んだのです。ともかく修正を戻すように。そういう行為はノートページで議論のときにやってはいけないことの一つです。投稿済のコメントへの修正など--LaBedoyere 2010年12月27日 (月) 07:39 (UTC) : コメント 発端という言葉の定義を理解しているのでしょうか? 私が正教贔屓とかいったのは、Kinno Angel氏が侮蔑発言をした3時間後です。Kinno Angel氏は反省の弁を語らず、相手だけに反省を求める、これぞ自分を棚に上げるという典型。そこまでいうならいいますけど、じゃ、まずKinno Angel氏が謝るのが筋だと思いますけど。私とくらわ氏の両方にまず謝ってからでしょう。そもそもKinno Angel氏が即座に謝っていれば、正教贔屓は誤解やったね、言い過ぎやったね、という流れになったでしょうが、その後も執拗にギリシャ語がどうこういうのにこだわるばかりで、まさに反省がない。相手にくってかかることにしか興味がないように思われました。正直、ここまでくると議論の内容以上に人間性を疑います。自分の発言についてはいったいどう思っているのでしょうか? 自分が反省しないで、どうして相手に態度を改めるように言えるか、理解に苦しみます。 [返信]

?「イデオローグ」という単語が何で中傷になるのでしょうか・・。意味わかってますか? 宗教色が強いというのは批判でも中傷でもありません。これは中立性が問題だとKinno Angel氏らが言っていたから、中立性の問題として言ったわけであり、これがどうして個人攻撃だと思うのかが全く理解できません。宗教色が強い考えに凝り固まっていたら、中立的な視点の編集とは言えなくなるわけで、何でこれが問題になるのでしょうか? 「いや、私は宗教色が強すぎたりはしません、中立です」という返答が普通でしょうに、Kinno Angel氏は自身がどういう宗教的信条なのか、全く開示しません。ただ言語としてギリシャ語が汎用性があるの繰り返し。私の質問の真意を理解していないのか、論点がズレている。中立性の話じゃなかったのかといいたいのですが、Kinno Angel氏の頭の中では、汎用性は東西教会の中だけ、または全教派のみということになっているようで、しかもそれ以外の広い汎用性、普遍性が、記事名で求められているという事実を認めようとしない。これが誤解というか曲解の原因になってます。なぜわからないのでしょうか。Kinno Angel氏は『自分が「ギリシャ語表記はギリシャ正教寄り」「正教会贔屓」という誤った認識で論を立てた』と言ってますが、これが誤りであることがなぜわからないのでしょうか? もう一度私の投稿を最初から読み直してください。これいうの嫌なんですけど、繰り返しになるので。

:::『すぐに投稿し続けているのに分割の具体的方法を示さないのはどういうワケだ』というあなたの作文にも理解に苦しみます。それが曲解。そういうことを言ってない。『どういうワケだ』ではなく、説明がないといっているだけ。議論の本質は、どうするか、どうすべきかであり、どうするつもりなのか分からないと言ったまで。まったく堂々巡りの繰り返しだ。ファイナルアンサーなんておどけている場合なんでしょうか。記事名をどうするかということであるのに、議論の目的を忘れている。ファイナルアンサーでもいいけど、回答をしないとアンサーにならない。Kinno Angel氏は何がしたいんでしょう? 記事名をどうする気? ギリシャ語がどうこう言っているだけでは具体案にならないし、ましてや相手への中傷である「流れ」なんて作って決まることはないのです。そう、これもKinno Angel氏が始めたことです。「流れ」と称した勝手な代弁を書いていったいどうする気だったのでしょう。糾弾ですか?--LaBedoyere 2010年12月27日 (月) 07:39 (UTC)[返信]

==== LaBedoyere(私)の主張 ====

全然曲解です。Kinno Angel 氏は悪意に満ちている。なぜか知りませんが、最初から攻撃的でした。また私の主張も全く理解してません。またそもそも当事者自身が「流れ」と称した総括を行うこと自体が、不穏当であり、不適切だと思います。中立性など全くなく、ただの中傷でしかない。しかし一方的な攻撃を受けたからには、訂正を記載せざるえないため、以下を記します。

PRUSAKiN氏の「サン・ジョルディの日」という祝日の名前を、聖人の名前の別記事に統一するという理由で「ゲオルギウスの日」にする提案に対して

  • Kinno Angel氏:態度未定。スペイン語記事なら存続、それ以外なら賛成。聖人の名前の統一と汎用性が理由。分割も。
  • ②私:反対。理由は、サン・ジョルディの日(という呼び方)が国内外で有名であること。(この時点ではラテン語表記と思っている)
  • PRUSAKiN(提案者)氏:サン・ジョルディが有名かの出典を要求(『「気のせいです」と申し上げることも可能』とも)。また国際化テンプレートの意味を問う。中立的観点を主張し、聖人名がギリシャ名になるなら、ギリシャ名で統一と主張。
  • ④私:サン・ジョルディが広く知られている出典を示す。国際化テンプレートの意味は記事の未完成を意味するだけであると答える。中立性という解釈に疑問を呈し、この記事は祭の記事であり、聖人の名前と統一する必然性がないと主張。また正式な呼称を使うというルールから「ゲオルギオスの日」という呼称が日本で使われているか出典を問う(この疑問には以後も未回答
  • Kinno Angel氏:『なぜ「ゲオルギオス?」よりも、なぜスペイン限定の「サン・ジョルディ?」』と問い、中立的観点であると主張。サン・ジョルディという呼び方が『スペイン語優遇』であるとし、ギリシャ語の汎用性を(なぜか)強く訴え始める。
  • ⑥私:スペイン語、英語、ラテン語表記だろうがギリシャ語表記だろうが、どれかの言語を使えば中立性を保てるとは思わないと主張。また本記事は、もともとが「スペイン(カタルーニャ)のサン・ジョルディの日」を書いた記事であることを指摘(これが今、サン・ジョルディである理由)。分割も。さらに記事名は、特定の祭を扱うもので、地域性があるものなので、世界中のすべてが同じものという認識が間違いではとも指摘。現状がこのようにスペインの記事だけなので、PRUSAKiN氏とKinno Angel氏に世界的観点からの加筆の準備があるか聞く。
  • くらわ氏:「サン・ジョルディの日」の日本での知名度を支持。分割も支持。聖人の日が日本では定着していないのに「ゲオルギウスの日」という記事名にする必然性に疑問を呈す。
  • Kinno Angel氏:「頭が痛い」など不必要な侮蔑的発言ノート:キュリロス (スラヴの(亜)使徒)の議論をなぜか出典か根拠のように提示するが、何をどう言いたいのか意図不明。分割も再主張。『記事「聖ゲオルギオス」の新規作成も吝かではない』と答えるがそれが何を意味するか無説明
  • ⑨私:ギリシャ語に汎用性があるという出典提示を求める。日本版ウィキペディアという百科事典での汎用性とKinno Angel氏らが言う汎用性には、定義または活用範囲が違うことを指摘するが、以後も誤解が続く(または故意に無視)。議論が偏って「極めて宗教色が強い」ことも指摘。『正教会贔屓』ともいう。Kinno Angel氏に記事「聖ゲオルギオス」の新規作成はどこの祭として書くつもりなのか聞く(しかし無回答だった)
  • Kinno Angel氏:東西両教会で重要視される聖人につきギリシャ語表記であると主張。ギリシャ語の汎用性について出典を示せず。『正教会贔屓』発言に反応。
  • ⑪私:いずれにしろ、どれかの言語を用いれば普遍性(中立性、汎用性とも同義で用いている)は無くなると再主張。中立性を理由にどれかの言語を選ぶことの矛盾。祝日の名前が世界的に普遍的な名前でありえないとも再主張。
  • Kinno Angel氏:スペインだけの分割も主張(①⑧)していたと反論。「聖ゲオルギオス」で別記事を立ててもいいというが、それがどんなものになるのか再度説明なし。記事名は、祝祭日の名前ではなく、あくまで聖人の名前であると主張。
  • イザヤ氏:キリスト教関係記事についてに限り、ギリシャ語は汎用性があると出典開示
  • Kinno Angel氏:Calvero氏の英語版から二回の部分訳を、大幅な加筆とやや大げさに報告。(Kinno Angel氏本人も4行追加するが、Calvero氏の二回目の加筆によってほぼ全て書き換えられる。Kinno Angel氏はその後に翻訳文に手を加え人名などだけ変更した。)「ゲオルギウスの日」への改名への賛成を修正することなく、立場が変わったと言い、改名か分割であるは必須と主張。しかしどう改名し、どう分割するというのか具体的には無説明
  • ⑮私:大幅な加筆という表現がオーバーであることを指摘。またKinno Angel氏が加筆の準備が全くなかった(実質的に本人は加筆してない)ことが判明したとも示唆。また英語版が初めからそうであるように、出典の明記がなされておらず、不十分な記事であると指摘。分割(細分化)後の心配にも言及。ギリシャ語の汎用性について、求められる『汎用性・普遍的が示す範囲は非宗教世界を含めた現実世界全般のこと』であると再度説明し、意識レベルの違いを示唆。またKinno Angel氏に皮肉。
  • Kinno Angel氏:大幅から「少なくともスペインだけの記事ではなくなった」にトーンダウン。『中立的なのはギリシャ語表記』と再度主張。「正教贔屓」と言われたことに関しても再度主張。翻訳記事が貶められたと勝手に誤解。
  • ⑰私:翻訳がダメだと言った覚えはないと反論。記事内容の多くが、英語版のときから未検証であることを再び示唆。今や多数版への分割が必要になったと指摘。

--LaBedoyere 2010年12月26日 (日) 07:41 (UTC)[返信]

コメント 段々、議論がそれて口げんかレベルに下がってきているようです。が、そもそもの発端がKinno Angel氏の侮蔑的発言にあるのは明らかです。それは第三者が見ても明白だと思います。また自分の都合の悪い発言が見えなくするように小文字にするのは、マナー違反であり、投稿済のコメントへの修正などのガイドラインに違反するものです。すぐに元に戻すように要請します。こんなことは言うまでもないことだと思いますが・・・。
また、当事者による「流れ」と称した総括が一方的な攻撃となるのは先に私が指摘した通りです。だからこそ好ましくない不適切な行為なのです。それをKinno Angel氏がやってきたわけです。相手にやり返されても、まだ自分の非に気付かないというのはどういうことなんでしょうか。どこまで自分を棚に上げる気でしょう。信じがたい思いがしますが、第三者はいかに感じるでしょうか。私はそもそも当事者が総括などすべきではないと思います。そういうことは少なくとも第三者がやるべきことであり、自分でやるかなと目を疑いました。
「何でスピーディに主張せねばならないのか」との問いかけめいた主張がありますが、その答えは明確です。Kinno Angel氏がすぐに返信を投稿してくるからです。私は一度も返答を催促してません。しかし議論が進み、Kinno Angel氏が返答してくるのに、具体的な意見の開示をせず、または態度不鮮明では議論になりません。説明がないから、無説明と言わずしてなんと言いましょう。そもそもKinno Angel氏が明確に意志を表現するまでは、他人に氏の頭の中を理解することはできません。私はKinno Angel氏がやったような他人の意見の総括などはしてません。これとは大きな違いがあります。議論において、他人の意見を勝手に代弁することは、全く持って言語道断であり、2010年12月24日 (金) 16:09 (UTC)の氏の投稿はまさにそれです。「説明なし」「無説明」を回答する気がないのかは、今後を見守りましょう。[返信]
『「Kinno Angel氏は正教会の信者かなんか知りませんが、極めて非中立的なのも明らかギリシャ正教寄りである」「あなたは極めて宗教色が強いイデオローグを持っている。」と中傷がなされる』との発言もありますが、これはまずそもそも中傷にあたるかどうかは、正教徒であることが蔑視されるかどうかによると思います。私は無宗教ですが、正教徒を差別しません。Kinno Angel氏が中傷と感じた理由はよくわかりません。また「非中立的」と「ギリシャ正教寄り」は別の文脈をくっつけたもので、これは露骨な曲解です。リンクをはってあってはっきりわかりますが、私の発言ではありません。私がギリシャ正教寄りと言ったのはゲオルギオスの使用であり、「Kinno Angel氏は明らかに正教会贔屓ですよね」といったのは別の文章です。これは同じ事のように思われるかもしれませんが、文脈から全然話の筋道が変わってきます。多分、こういうところの文意の読み違えが、Kinno Angel氏は多いと思われます。非中立的とは、宗教的すぎるということで、宗教の中で特定の派閥に傾倒しているという意味ではないです。汎用性、普遍的などの議論と一緒で、世界の祝祭の記事名なのに、あまりに宗教的観念にこだわりすぎだというのが私の主張なわけですから、「非宗教的な祭になっている日の記事名の議論として、あなたは極めて宗教色が強いイデオローグ」と言ったまでです。Kinno Angel氏はリンクまで張りながら、自分の都合の悪いところを切るという・・何ともずさんな。
イザヤ氏の投稿をしてKinno Angel氏は「ギリシャ語は別にギリシャ正教寄りでなく全教派で汎用性が高いものであると分かる」と要約し、以後私が「追及方向」を変えたと間違って思っているようですが、それが曲解というか、無理解というか、とにかく私の言ってきたことが分かってないです。この私が繰り返し言っていることは、「中立性は関係ない(2010年12月21日 (火) 14:43 (UTC))」「「ゲオルギオスの日」という呼称が日本でつかわているか(2010年12月21日 (火) 14:43 (UTC))」「この記事は祭の名前であり、聖人の名前ではない(2010年12月21日 (火) 14:43 (UTC))」、「祭や祭日みたいなものは、地域性があるものなので、世界中のすべてが同じものという認識が間違っている(2010年12月21日 (火) 15:33 (UTC))」であり、「全教派」に限る話をしてません。最初からです。だから「じゃ、仮に呼び方が中立的かどうかという問題にしても(2010年12月21日 (火) 15:33 (UTC))」という書き出しになるわけです。仮にですよ、仮に。こっちはPRUSAKiN氏やKinno Angel氏の主張にそもそも納得してないわけですよ。話に乗ってやっただけで、本来の主張ではないのです。それが後では論拠とか言われて、まったくなんと言ったらいいのか、どんだけ自分勝手なんやねんという感じです。「全教派」に限られる話題だと思いこんでいるのはKinno Angel氏だけではないかと思います。
『誰が提示したかどうかなんて本質的問題ではない』と強弁してますが、自分が出典を持たずにただ話しているだけか、出典となる根拠を持って話しているかは、まさしく本質的問題です。要するにKinno Angel氏は根拠なく主張していたということになり、にもかかわらず「頭が痛い」とか侮蔑発言をしたとなると、さらに悪質なものとなります。
『翻訳であっても検証可能性がなきゃ無意味』なんて誰が言ったのでしょう・・・。私ではないですね。「無意味」なんて言ってません。この表現を使ったのはKinno Angel氏であり、どうしてこうも悪意ある曲解をするのでしょうか。
大幅加筆については、2010年12月26日 (日) 07:40 (UTC)について説明しているとおりで、私が可笑しいと思ったのはKinno Angel氏の態度であり、分量ではないです。後出しジャンケン説については、「子供か」とツッコミたくなる弁論だと思います。
Kinno Angel氏は2010年12月24日 (金) 15:54 (UTC)の投稿でまさに『私が言っているのはこれだけなんですけれどね。』と書いてます。「これだけ」の意味は分かると思いますが、だけといったらだけですから、二点だけになります。分割案は引っ込めたのか、他人にはわかりません。だから説明を聞いただけです。『見変更した時にはそれを「報告」として表明しています』という氏のポリシーは初めて聞きました。そんなこと知りません。どうしてそれを知ってることが可能でしょうか? あなたは初めてそれを表明したというのに! どうもKinno Angel氏は言わなくてもわかるだろ的な思いこみが強い人なのかもしれませんが、言葉に表さないと相手には伝わらないことを、是非、理解しましょう。無説明についてもまさにこれです。スピーディーに回答してないだけと強弁してみても、こっちに伝わないわけで、相手がテレパシーを持っていることを期待すべきではありません。「書かなきゃ、わからねーよ」と毎回いわなければならないのでしょうか。[返信]

体力的に返信のペースを落とすとういことですが、それは勝手にどうぞ。前述のように、返信をせかしたようなことは一切ありません。しかしながら履歴をみると、Kinno Angel氏はクリスマスイブの夜に、この寛容の精神の日に、例の「流れ」と称した総括の中傷記事を何度も投稿するような人なので、どうなんだろと、思うのは自然だと思います。--LaBedoyere 2010年12月26日 (日) 14:57 (UTC)[返信]

自分が相手に対して悪意しか向けていないのに、相手に「クリスマスイブの夜に、この寛容の精神の日に」だの「悪意」だの、中傷を続けるのはいかがなものでしょうか。
それと、自分の大量発言を投稿してから、何度もそれを繰り返し修正なさるのはやめてもらえませんかね。差分がすごく分かりにくくなりますので。
LaBedoyereさんは何がしたいんでしょう?私の糾弾ですか?でしたらこのノートページでも何でも無く、利用者の行為についてのコメント依頼でも何でも出して下さい。--Kinno Angel 2010年12月27日 (月) 03:40 (UTC)[返信]

分割提案

「本と花を贈る(交換する)日として定着しつつある」ということならば、国によって祭りの内容も異なるようなので、この名称の記事をスペイン系の記事に特化させ、他の国については加筆があったわけですし、その国で使われている表現に対応する名称で別項目を立て、分割することを提案します。--イザヤ 2010年12月22日 (水) 15:58 (UTC)[返信]

分割提案の告知を出しました。--モンゴルの白い虎 2010年12月23日 (木) 16:12 (UTC)[返信]
モンゴルの白い虎さん、お疲れ様です。--Kinno Angel 2010年12月23日 (木) 16:16 (UTC)[返信]

分割提案は、どう分割するという提案ですか? サン・ジョルディの日と何に? セント・ジョージの日もイギリスまたは英語圏では特別な祭だと思うけど、現状はセント・ジョージの日という英語版の記事St George's Dayからの翻訳で加筆があったことで構成も同じになったということだから、サン・ジョルディの日セント・ジョージの日という分割案ということなのか? それとも英語記事から部分訳の「他の国については加筆」をさらに別のゲオルギウスの日と3つに分ける気でしょうか。それとも英語版の記事St George's Dayほぼまんまの翻訳なのに無理にゲオルギウスの日とする気なのか、分割するかどうかもですが、どういう分割案か内容を明らかにしないと提案の内容に賛否は付けられないでしょう。 --LaBedoyere 2010年12月24日 (金) 07:25 (UTC)[返信]

あの、私が先週 2010年12月21日 (火) 13:21 (UTC) のコメントでお願いした、「サン・ジョルディの日」として国内外で特に有名である ということが客観的に理解できる出典(参考文献)が未だに出てこないのはなぜなのでしょうか?本当に「サン・ジョルディの日」という名称がかの「バレンタインデー」のごとく圧倒的に一般的な名称であるならば、それが理解できる出典を示すのはいとも容易いことだと思うんですが?ところが誰もその根拠を明示してくれないものですから、「サン・ジョルディの日」に拘る意味がいまだに理解できないままですね。
出典を示したと主張している人もいますが、あの、ウィキペディアにおける出典の扱いに関する諸ガイドラインは読んでます?知らないといけないんで予めひとつは明記しておいたんですが。ネット検索はあまり出典にならないということはきちんと明記されており、なおかつ、ご本人も Kinno Angel さんの過去の議論について 未検証の個人サイトで ダメだというようなことを書いていらっしゃるんですが( 2010年12月22日 (水) 03:03 (UTC) コメント参照)、どうしたことでしょう。
もしご主張の「約 214,000 件」の全部がウィキペディアの出典基準に照らして「検証済みでカウントに値するサイト」であると確認済みということなら、ご検証なさったご本人様以外にもよく理解できますよう、ご説明下さいませ。ていうか、そこん中に数々の「ウィキペディアのミラーサイト」が(苦笑)。
また、「本と花を贈る(交換する)日として定着しつつある」ということについても、出典が明示されておりません。当方は、「定着した」ことについては明確な出典があるだろうが、「しつつある」ような、いわゆる{{現在進行}}形の出来事について、あえてページを分割するに足るような堅牢な出典があるのだろうかという点については、いささか懐疑的に見ています。要は、「明らかにほかの同系の祭日とは別種のイベントデーとして定着した(←完了形)」段階になってから分割を検討するのでも遅くはないと思います。
ところで、話変わりますが例えば英語圏以外の国の都市や人物のページを英語版ウィキペディアから翻訳して作成したら、その名前はばっちり「英語読み」して作成しなければならないのでしょうか?意味がわかりません。--PRUSAKiN 2010年12月27日 (月) 06:33 (UTC)[返信]

コメント すでにそのすぐあとの投稿(2010年12月21日 (火) 14:43 (UTC))で出典を出してますけど。全部、出版物です。むしろ「「ゲオルギオスの日」という呼称が日本でつかわているかです。日本で使われているという検証可能な出典はありますか?」にPRUSAKiN氏が答えてくれないのはなぜかとずっと思ってます。そもそも最初に『「聖名祝日」としての正式な日本語名は何であるかも気になる』との発言のとおり、自分自身では知らないということなのでしょうか。その辺のところ全く説明がないので、氏が、どういう考え、意見なのかお聞かせ下さい。
あと、もちろん上の文章を全部読んでおられると思うのでわかると思いますが、ここにいる人で分割に反対している人はいません。ギリシャ語表記にこだわっている人はいますが、私の場合はサン・ジョルディにこだわっているわけではなく、セント・ジョージも有力であり、祝祭日としての知名度・認知度、日本で広く使われている名称であることが判断基準です。これは最初に言ったとおり、変わってません。これが変わったと誤解する人がいるから迷惑しているのです。しかしながらもはや分割は避けられないでしょうね。これも先に言ったことですが、どう分けるかが問題になってます。--LaBedoyere 2010年12月27日 (月) 07:54 (UTC)[返信]

コメント あと英語読みにしなければならないというようなことを言っているわけではありません。英語版の記事のかなりの部分はイングランドについてなのでセント・ジョージ(聖ジョージ)とした方が良い場所が多いわけで、そうすると記事名を分割するときに、セント・ジョージの日が無くなるような分け方はどうなのかということを言いたかっただけです。これは最初のモンゴルの白い虎 氏の提案が、「スペイン系の記事に特化」と「他の国」という分け方の提案であったので、それではセント・ジョージの日英語版の訳なのに、記事名に「ゲオルギオスの日」とするのでしょうか? あるいはしないのでしょうか。するとしたら理由はなぜでしょうかということです。--LaBedoyere 2010年12月27日 (月) 08:05 (UTC)[返信]
ゲオルギオスの日を多言語リンクの記事にして、それぞれの国において発展したお祭りや行事は、記事の拡張に応じて分割することを提案します。ゲオルギオスにする理由は原型のギリシャ語だからであり、多言語、多地域、多文化にわたる中立性を確保するためです。現在多言語で15ヶ国語が存在する記事であり、英語版からの翻訳の分量が多いといっても、イングランドの言語をカタカナ転写した表記を多言語にリンクする理由があるとは考えられません。現在の内容でもすでにイングランドのお祭りだけの記事ではありません。英語版でもそれぞれの地域ごとの項目が立っています。また、スペインと日本で「定着しつつある」は出典がないかも知れませんが、1923年のカタルーニャ地方の本屋さんからはじまってこの日を「本と花を贈る日」とする人がいることは事実のようですから、サン・ジョルディの日として別項目にするのが自然でしょう。--イザヤ 2010年12月27日 (月) 09:56 (UTC)イザヤさんのコメントを節内の一番下にもって来ました。--Kinno Angel 2010年12月27日 (月) 10:15 (UTC)[返信]
賛成 イザヤさんの提案に基本的に賛成します。後は、分割先の記事名の検討が残る程度だと思います。--Kinno Angel 2010年12月27日 (月) 10:15 (UTC)[返信]
イザヤさんの提案に則ってより具体的に考えますと、
  • スペインと日本の節を「サン・ジョルティの日」として残す。
  • 他の地域の節を「ゲオルギオスの日」として分割。他言語版リンクは「ゲオルギオスの日」へリンク。
  • 「ゲオルギオスの日」にもスペイン・日本の節は作るが、そこには「詳細はサン・ジョルディの日を参照」とMainテンプレを貼り、節内で詳述はしない。
以上のような手順になるかと思うのですが、いかがでしょうか。--Kinno Angel 2010年12月28日 (火) 01:59 (UTC)[返信]
賛成 類似例としてジュルジェヴダンを翻訳してみました。各国語版とリンクする主記事は「ゲオルギオスの日」とし、派生した地域的な祭りなどをそれぞれふさわしい名前で別記事とする、イザヤさんの案に説得力を感じます。手順としてはKinno Angelさんご提示の方法で問題ないかと思います。--Peccafly 2010年12月28日 (火) 12:11 (UTC)[返信]

利用者コメント依頼報告

Wikipedia:コメント依頼/利用者:LaBedoyereを提出させて頂きました事をここに御報告申し上げます。--Kinno Angel 2010年12月27日 (月) 04:40 (UTC)[返信]

利用者コメント依頼報告2

Wikipedia:コメント依頼/利用者:Kinno Angelを提出させて頂きましたことをここに報告します。--LaBedoyere 2010年12月27日 (月) 19:45 (UTC)[返信]

== 合意形成の要約は間違ってる ==

改めてコメントさせてもらいますが、合意形成のコメント依頼でKinno Angel氏が書いたものは、全く間違いです。そもそも氏の誤解が、合意形成を阻む原因です。

「ギリシャ語名がギリシャ正教寄りかどうか」が問題にされ、偏向ではないと明らかになれば今度はキリスト教内部の中立性でしかない事が問題にされ、スペイン限定の記事であるからスペイン語名が妥当であるという議論があったが、スペイン限定の記事ではなくなる加筆がされたのに対しては「翻訳ではダメ」として認められず。

Kinno Angel氏は書いてますが、「ギリシャ語名がギリシャ正教寄りかどうか」は特に問題にしてません。私の主張はどれかの言語が中立性があると言えるのか、というものであり、書いたまま引用すると『しかしラテンにしろギリシャにしろ、中立なんでしょうか?』(2010年12月21日 (火) 15:33 (UTC))です。これがなぜかKinno Angel氏の頭の中ではギリシャ語の汎用性についての問題とされたようです。どうも出典を求めたり、独自研究と言われたことで、頭に来てそのことばかりを考えてるようですが、私の主張の論点は最初からそこにはないわけで、私ははっきりと『中立性は関係ないでしょう。』2010年12月21日 (火) 14:43 (UTC)、『中立性はあまり関係ないと思うという立場』(2010年12月21日 (火) 15:33 (UTC))と明示してます。[返信]

Kinno Angel氏は自分勝手な議論を構築して、他者の意見を無視してます。「翻訳はダメ」なんて言っていないの前述の通りです。--LaBedoyere 2010年12月27日 (月) 08:28 (UTC)[返信]

コメント どうやらLaBedoyereさんは御自分の書いた事を色々とお忘れのようです。

: コメント Kinno Angelは「自分が必ずしも正しいわけではないと思ってるようですが」、どうして「自分が絶対に正しいわけではない」ことがわからないのですか? 自分の言葉でしょ。どうして曲解するのですか? 違う文章をくっつけられても困ります。なぜ? なぜ? 「自分が絶対に間違っている」ことに気付かないの? 日本語読めるはずでしょ。いい加減にしてください。わかりやすくしないとダメですか?

それではまず下の文章は私が書いたものじゃないでしょう? これをまず認めてください。
『「Kinno Angel氏は正教会の信者かなんか知りませんが、極めて非中立的なのも明らかギリシャ正教寄りである』
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『Kinno Angel氏は正教会の信者かなんか知りませんが、極めて非中立的なのも明らかでしょう。むしろ驚くほど偏っているのでは? 少なくともサン・ジョルディの日やセント・ジョージの日のような、すでに非宗教的な祭になっている日の記事名の議論として、あなたは極めて宗教色が強いイデオローグを持っている。中立性の議論のときに書いたように、私は別にスペイン贔屓ではありませんが、Kinno Angel氏は明らかに正教会贔屓ですよね・・。』
この二つの文章の意味が、どうして同じになるのですか? ちゃんと教えてください。違いますよね。途中を勝手に削除してますがその途中が私の議論では論点の一部で、言いたいことであることを、なぜ無視するのでしょうか? 私の論点をKinno Angel 氏が勝手に作り替えるなんてあり得ないです。非宗教的な祭になっている日の記事名の議論としてどうなのかという話ですよ。もちろんこの時点では、サン・ジョルディの日の記事は本とバラを交換する話などがメインだったころのことです。
『あなたは極めて宗教色が強いイデオローグを持っている』これは言いましたし、今でもそう思ってますが、無宗教である私の立場から言わせればこれは絶対的な事実です。また個人攻撃だとも思いません。なぜなら中立性の議論であるからで、非宗教的中立性があるのかが、私の論点だったからです。だからこれは意味がある話なんであって、私は中傷とはとらえてなかったが、Kinno Angel氏は中傷と捉えた。そういうことですね。
Kinno Angel 氏にとっては、私の主張は意味のないものなのかもしれませんが、それでも相手の意見を聞くぐらいはしないと、議論の拒否や妨害否も同じですよ。自分勝手な要約ばっかりやってますよね。もう止めてもらえませんか。
「ただの翻訳ということか。」と言いましたが、前後の『文脈を無視しないで下さいね』と言う言葉をそっくりそのままお返しします。これはKinno Angel 氏が二回も、記事「聖ゲオルギオス」の新規作成と言っていたからで、英語版を参考にして作成するとは聞いていましたが、翻訳記事とは一切聞かされてませんでしたから、がっかりしただけです。このがっかりした背景には、英語版記事が多くが出典がなく、それほど充実してなかったという理由もあります。それを素直に表現しただけで、翻訳記事を貶めたわけではないです。新鮮みがなかった。それだけです。『翻訳はダメ』とか『加筆として認められない』なんて、一言も言ってません。これが曲解という所以です。勝手に解釈していると非難されて当然でしょう。しかるに、Kinno Angel 氏は自分の方は書いてないことを察しろという具合なことをいってくる。無理でしょう。『私の利用者ページに書いてあります。相手と議論する時は、相手の前提位チェックしておきましょう』と書いたら、そら読めということだと思うでしょう。これが『相手について何か言うのなら無根拠に言わないように』という意味だと、いったい全体、誰がわかるのでしょうか。そして私が書いてない言葉を、どうして私の意見であると決めつける権利が、Kinno Angel 氏にあるのでしょうか、いや、ありません(反語)。
「どうも出典を求めたり、独自研究と言われたことで、頭に来てそのことばかりを考えてるようですが」これは確かに根拠なき憶測かもしれません。
しかし『「ギリシャ語名がギリシャ正教寄りである」と批判がなされ、次にギリシャ語は別にギリシャ正教寄りでなく全教派で汎用性が高いものであると分かると、今度は同氏はギリシャ語名はキリスト教内だけの中立性を確保するだけであると追及内容を翻し、さらにスペイン限定の記事なのであるからスペイン語名が妥当であるとしていた同氏であったが、スペイン限定の記事ではなくなる加筆がされたのに、「翻訳ではダメ、しっかりした記事ではない」として前言撤回』これはどうでしょう。
私はこんな事は書いてませんし、言ってもいません論点も主張も異なります。これは明らかにKinno Angel 氏による根拠なき憶測です。特に翻訳ダメなんて言ってません。前言撤回とかしてません。自分が間違って解釈していることがなぜわからないのでしょう。それとも敢えて、人の意見を無視しているとしたら、どうなんでしょう。十分に個人攻撃と言えるのではないでしょうか。いやもはや明白でしょう。--LaBedoyere 2010年12月27日 (月) 11:34 (UTC)[返信]
コメント いくら貴方が長文で「違う趣旨だ」「私はこんな事は書いてませんし、言ってもいません」と言っても、私には「同じ趣旨」「翻訳記事を否定している」としか感じられません。後は、第三者の判断に任せます。--Kinno Angel 2010年12月27日 (月) 11:44 (UTC)[返信]

:: コメント 今反論を書いている途中ですが、なぜです? 率直になぜ私の書いてないことを主張するのですか? 長文になるのは、それを説明してもらうためですよ。あくまでも議論を拒否するわけですね? 第三者も重要ですが、あなた個人の意見がどうしても聞きたいです。中立性の話をしていたのがわからないということですか? 逃げないで、答えてください。--LaBedoyere 2010年12月27日 (月) 11:53 (UTC)[返信]

コメント ほぼ全て、私は貴方の主張についてはそのまま引用し、リンク形式で実際の発言を示している訳です。貴方は「そんなつもりじゃない」と言い続けていますが、ご自分の発言は消せませんよ。--Kinno Angel 2010年12月27日 (月) 11:57 (UTC)[返信]

::: コメント 「ほぼ」って大事なところ消して、趣旨をねじ曲げているじゃないですか。Kinno Angel氏は書いてないことまで後で主張をするのに、私の書いてあることを無視するのですか? それは明確な議論の妨害でしょう。--LaBedoyere 2010年12月27日 (月) 12:09 (UTC)[返信]

コメント
「ほぼ」って大事なところ消して、趣旨をねじ曲げているじゃないですか。
私はそうは思いません。LaBedoyereさんの方がむしろ御自分の発言を捻じ曲げているとしか思えません。貴方のご発言・ご意見の趣旨について、私が捉えております要旨は既に述べていますので繰り返しません。この認識は多分変わりません。--Kinno Angel 2010年12月27日 (月) 13:13 (UTC)[返信]

利用者ブロック依頼報告

本ノートページとノート:ゲオルギウスを巡るLaBedoyereさんの議論姿勢により、Wikipedia:投稿ブロック依頼/LaBedoyereを提出致しました事をご報告申し上げます。--Kinno Angel 2010年12月27日 (月) 13:15 (UTC)[返信]

改名提案・分割提案のプロセス終了報告

報告2010年12月28日 (火) 01:59 (UTC)に提案した内容に反対がありませんでしたので、提案の通りのプロセスで分割をさせて頂きました。これをもちまして改名提案・分割提案に係る議論は終了したと判断、タグを外しました。さらに国際化テンプレは「日本とスペインに特化した記事」と定義文を変更したことを以て、これも外しました。加えてノートページ各欄に「解決済み」テンプレを貼らせて頂きました。

議論に参加下さった皆様、ありがとうございました。--Kinno Angel 2011年1月11日 (火) 07:29 (UTC)[返信]