上北山村立東ノ川小中学校

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上北山村立東ノ川小中学校
地図北緯34度5分53.02秒 東経136度4分9.55秒 / 北緯34.0980611度 東経136.0693194度 / 34.0980611; 136.0693194座標: 北緯34度5分53.02秒 東経136度4分9.55秒 / 北緯34.0980611度 東経136.0693194度 / 34.0980611; 136.0693194
国公私立の別 公立学校
設置者 上北山村
設立年月日 1890年(明治23年)4月
閉校年月日 1998年(廃校)
1969年(休校)
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード ウィキデータを編集
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所在地 639-3704
奈良県吉野郡上北山村西原498-1
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上北山村立東ノ川小中学校(かみきたやまそんりつ ひがしのかわしょうちゅうがっこう)は奈良県上北山村西原(東ノ川)にあった小中学校。

概要と沿革[編集]

1964年(昭和39年)、従来の校地が熊野川電源開発計画による坂本ダムの竣工に伴い水没するため、ダム建設補償により移転し、当時としては画期的な鉄筋コンクリート構造の二階建て校舎が建てられた。しかし、集落群のダム湖への水没や、海外からの輸入材解禁などによる林業衰退によって急激な人口流出が発生した。それにより児童・生徒がゼロの事態が続き、5年後の1969年(昭和44年)には休校となった。また、東ノ川地区全体も無住となった。この新校舎で学んだ児童・生徒は計5名だけであった。

校舎は休校後も取り壊されなかったものの、尾鷲市から約26km離れた険しい山奥にもかかわらず、暴走族不良により全ての窓ガラスやカーテンなどの設備が破壊されて至る所にスプレー落書きされるなど、見るも無残な状態になっている。東ノ川の集落にこのような被害がほとんど無いのとは対照的である。落書きの内容は尾鷲市に関連したものや、上北山村にオウム真理教が潜伏との誤報に乗じた地下鉄サリン事件に関連したものなどである[1]

東の川簡易郵便局への道中にあるため、郵趣家郵便局巡り愛好者や、酷道愛好者、廃村愛好者などにとって有名なスポットとなった。

1969年に休校となってからも行政上は現役の学校として存続していたが、通学区域内の居住者がゼロで、今後も新入学者・転入学者の見込みが皆無であるため、休校から29年後の1998年に正式に廃校となった。

脚注[編集]

  1. ^ [1]

関連項目[編集]