源昇

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源 昇(みなもと の のぼる、嘉祥元年(848年) - 延喜18年6月29日918年8月8日))は、平安時代初期から中期にかけての公卿嵯峨源氏左大臣源融の次男。官位正三位大納言河原大納言と号す。

経歴[編集]

貞観17年(875年従五位下叙爵土佐権守右馬助左兵衛佐左衛門権佐近江介などを歴任。美濃権守を経て、寛平5年(893年)に従四位下木工頭に叙任。同年中に蔵人頭左中弁を務めた。

寛平7年(895年参議に任ぜられ公卿に列す。参議に加えて左中弁を兼帯した数少ない例である。寛平9年(897年)から昌泰3年(900年)にかけて伊予守延喜3年(903年)から延喜6年(906年)にかけて讃岐守と地方官に転じる。この間に従四位上・右兵衛督に叙任されている。

延喜8年(908年従三位中納言、さらに翌年、民部卿を兼任。最終的に延喜14年(914年)に大納言、延喜16年(916年)に極位正三位に昇叙された。延喜18年(918年薨去享年71。

官歴[編集]

※以下、『公卿補任』の記載に従う。

  • 貞観17年(875年)正月7日:従五位下
  • 元慶3年11月25日(880年1月):従五位上
  • 元慶5年(881年)11月15日:土佐権守
  • 元慶8年(884年)5月29日:右馬助
  • 元慶9年(885年)2月20日:左兵衛佐
  • 仁和2年(886年)2月21日:左衛門権佐
  • 仁和4年(888年)2月10日:近江介
  • 仁和4年11月25日(889年1月):正五位下
  • 寛平2年(890年):侍従
  • 寛平3年(891年)4月11日:右中弁
  • 寛平4年(892年)正月23日:美濃権守
  • 寛平5年(893年)正月21日:従四位下
  • 寛平5年(893年)2月16日:木工頭
  • 寛平5年(893年)2月22日:蔵人頭、左中弁(木工頭權守等如元)
  • 寛平6年(894年)8月:遣唐装束使
  • 寛平6年12月25日(895年1月):侍従
  • 寛平7年(895年)10月26日:参議(左中辨侍從等如元)
  • 寛平8年(896年)2月16日:止左中弁
  • 寛平8年(896年)3月15日:勘解由長官
  • 寛平9年(897年)正月13日:伊予権守
  • 寛平9年(897年)6月19日:右兵衛督
  • 寛平9年(897年)7月13日:従四位上
  • 延喜3年(903年)正月11日:讃岐守
  • 延喜4年(904年)正月7日:正四位下
  • 延喜8年(908年)2月23日:従三位・中納言
  • 延喜9年(909年)4月22日:民部卿
  • 延喜14年(914年)8月25日:大納言
  • 延喜16年(916年)3月8日:正三位(法皇御賀院別當)

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 尊卑分脈』。『公卿補任』では源湛の娘とする。