満留賀

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満留賀(まるか)とは、蕎麦屋を中心とする「のれん」の一つである。「のれん」とは暖簾名であり屋号名(ブランド)であり、商人の信用、プライドを支えるものである。現代的なチェーン店とは重なる面もあるが、基本的に異なる概念である。

由来[編集]

「のれん満留賀の由来」は、愛知県宝飯郡御津村(現:豊川市御津町)より1893年(明治26年)に単身上京してきた加藤豊造に始まる。当時の下谷区(現:台東区)佐竹通り(現台東3・4丁目)の「三河屋そば店」に奉公に入り、7年間の修行を積んで独立。1900年(明治33年)3月、当時の芝区宇田川町 (現:東新橋新橋浜松町芝大門)に加藤の加に○を付け「(加)三河屋」(まるかみかわや)として開店した。ところがその後「(三)三河屋」という屋号のそば屋が近所に出来たため、「まるか」にすべきかと当時の東京市浅草区浅草松葉町(現在の台東区松が谷)の真宗大谷派・真龍寺の僧であった安藤正純(のちに文部大臣などを歴任)に相談したところ「満留加」の三文字をいただいたという。「満留賀」はいわゆる吉祥名(賀字)である。

その後「満留賀」は繁栄し、その後のれん分けを続け、300店舗以上を数えるにいたったという。以上は川崎市幸町の蕎麦屋満留加の由来説であるが、それを裏付ける文献は乏しい。[1]

一般的には、汁が濃いめが特徴とされる。現存する最古の店は1910年頃にできた千代田区内神田「満留賀」といわれる。

他に「満る賀」「まるか」もあり、読みも「まるが」もある。業態も蕎麦専門店から大衆食堂まである。厳密な意味の、のれん分けでなく「のれん」の意味があいまいな、あやかり店名も多いとも考えられる。

藪 (蕎麦屋)」の、のれん集団「藪睦会」のような組織はない。他に「砂場 (蕎麦屋)」・「更科 (蕎麦屋)」・「長寿庵」・松月庵・朝日屋・巴屋などが、主な東京での蕎麦屋の「のれん」である。

関連項目[編集]

出典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『蕎麦屋の系図』