渤海語
渤海語(ぼっかいご)は、渤海国で使用されていた言語のことである。
渤海国では、高句麗語と靺鞨語が混用され、やがて一つの渤海語が形成され、渤海の滅亡とともに衰退し、遅くても12世紀から13世紀には消滅したという説が存在している。
渤海語研究では資料的な制約のため詳細については不明である。僅かながら『新唐書』に渤海語と思われる単語が収録されている程度のものである。
『新唐書』渤海伝によると渤海語では、王を「可毒夫」「聖主」「基下」といい、王の命令を「教」といった。
俗謂王曰「可毒夫」、曰「聖王」、曰「基下」。其命爲「教」[1]。(『新唐書』渤海伝)
俗称では王(を名付けて)可毒夫、あるいは聖主、あるいは基下といった。(王の)命令を教という[2]。
アレクセイ・オクラドニコフの弟子の極東連邦大学のエ・ヴェ・シャフクノフ(英語: Ernst Vladimirovich Shavkunov、ロシア語: Эрнст Владимирович Шавкунов)の研究によれば、渤海語で王をいう「可毒夫」はおそらくツングース系満州語の「卡達拉」(満州語: ᡴᠠᡩᠠᠯᠠᠮᠪᡳ、kadalambi、カダラ:管理するの意)やツングース系ナナイ語の「凱泰」(カイタイ)と関係があり、その本来の意味は年長の管理者の意味であろうという。また、渤海人と靺鞨人の名前の最後に「蒙」の字がついていることがあるが(烏借芝蒙、己珍蒙、慕思蒙など)、これは靺鞨語の重要な膠着語尾の一つを示しており、ツングース系民族は氏族を「木昆」「謀克」と称しているが、「蒙」の音が「木」や「謀」の音と近いことを考えると、この「蒙」の音はその人が属する氏族を表す音節であろうと推測できると述べている[3]。
表記文字としては当時の東アジアで一般的であった漢字を利用していたものと考えられている。
ロシア史学会では考古学資料から渤海独自の文字が存在したという研究もあるが、現時点で一般的に認知されているものではない。
アレキサンダー・ボビンは2012年の論文において、漢字の範疇に入らない文字があり、その中には女真文字と共通・類似するものがあると指摘しており、仮説として、「女真文字が渤海文字から発展した」と提示しているが、疑問点もあるとされる[4]。