浜岡光哲

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喜寿を迎えた浜岡光哲(1929年)

浜岡 光哲(はまおか こうてつ / みつあき、1853年7月5日嘉永6年5月29日) - 1936年昭和11年)12月6日)は、日本実業家政治家。関西貿易合資会社社長、京都日出新聞社主衆議院議員などを歴任。

経歴[編集]

1879年、商報会社を設立し「京都商事迅報」を刊行。2年後の1881年には現在の「京都新聞」の前身「京都新報」を発刊し、社主として京都財界の中心的人物となった。1885年には京都商工会議所会長にも就任している。また1887年に設立した京都繊維会社には田中源太郎らとともに設立発起人として参画。自らも経営に参加したほか、京都商工銀行関西鉄道京都ホテルの設立にも関与し、京都実業界の大物として活躍した。

財界での成功にとどまらず、地元京都では府会議員、市会議員も歴任。1890年に行われた第1回衆議院議員総選挙にも出馬して当選し、京都選出議員第一号となっている。その後、第10回総選挙補欠選挙第11回総選挙で当選し、衆議院議員を通算三期務めた。

京都の教育機関の設立にも積極的に関与し、京都私立独逸学校(現在の京都薬科大学)の第二代理事長に就任したほか、同志社大学設立発起人や、立命館大学の前身「京都法政学校」の設立賛助員などにも名を連ねている。

栄典[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 『官報』号外、「授爵・叙任及辞令」1928年11月10日。

参考文献[編集]

  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年