池田政香

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池田 政香
時代 江戸時代中期
生誕 元文6年2月14日1741年3月30日
死没 明和5年8月25日1768年10月5日
改名 春五郎(幼名)、政香
別名 兵部(通称)
戒名 円海院殿玄如禅哲大居士
墓所 岡山県岡山市中区小橋町の国清寺
官位 従五位下内匠頭
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治
備中鴨方藩
氏族 池田氏(利政流)
父母 父:池田政方、母:三村氏
兄弟 政香政直本間季農政宣竹中重寛方教頼功大関増備正室、内藤忠見継室、島津久般正室、京極高厚継室、酒井忠啓正室、稲垣照敦室、牧野成賢室、池田直好養女、逸見長祥正室、依田守甫室ら
正室:松平信復の娘)
継室:瑞明院森俊春の娘)
養子:政直
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池田 政香(いけだ まさか)は、江戸時代中期の大名通称は兵部。備中国鴨方藩4代藩主。

略歴[編集]

3代藩主・池田政方の長男として誕生。幼名は春五郎。宝暦10年(1760年)3月14日、父の隠居により家督を継ぐ。

藩主としては有能で温厚篤実な人物だった。特に朱子学に優れており、自ら藩校に出向いて学者や学生と討論するほどであった。その才能には本家の岡山藩主・池田継政も「内匠(政香)は尋常の人に非ず。万端に心を用ひ、及ばざること遠し。誠に国宝といふべきなり」と高く評価している。

しかし明和5年(1768年)8月25日、28歳で死去した。死後、家督は弟の政直が継いだ。

家臣の浦上玉堂は、政香の若すぎる死を惜しんで、「止仁録」という政香の一代記を著作している。