赤木桁平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
池崎忠孝から転送)
Jump to navigation Jump to search
赤木桁平(池崎忠孝)

赤木 桁平(あかぎ こうへい、1891年2月9日 - 1949年12月10日)は、日本の評論家政治家。本名は池崎忠孝。初めて夏目漱石の伝記を書いた人物として知られ、また大正期の「遊蕩文学撲滅論」で一世を風靡した。衆議院議員3期(第19回20回21回総選挙に当選)。

略歴[編集]

岡山県阿哲郡万歳村(現・新見市)生まれ。東京帝国大学法科大学卒業、在学中夏目漱石門下に入り、漱石命名による「赤木桁平」の筆名で文芸評論を書いたが、中でも、1916年(大正5年)、朝日新聞に載せた「『遊蕩文学』の撲滅」が有名である。これは、当時、花柳界を舞台にした小説が多く、「情話新集」なるシリーズが出ていたのを、「遊蕩文学」と名づけて攻撃したもので、その筆頭たる攻撃目標は近松秋江だったが、ほかに長田幹彦吉井勇久保田万太郎後藤末雄が槍玉に挙げられた。これは論争になったが、久保田や後藤は、攻撃されるほど花柳小説を書いてはいなかったし、当時、東京帝大系で非漱石系の親玉だった小山内薫が反論した中に、なぜ自分や永井荷風が攻撃目標になっていないのか、とあったが、谷崎潤一郎も批判されていなかった。また、もし少しも遊蕩的でない小説を書く者といったら、漱石と小川未明くらいしかいないではないかという反論もあった。谷崎や荷風が攻撃から外されていた点については、赤木が当時谷崎と親しく、谷崎の庇護者だった荷風にも遠慮したからだろうとされている。

卒業後、『萬朝報』に入社し、論説部員を務めた。その後家業を継ぎ、1936年(昭和11年)に衆議院議員に当選し、第1次近衛内閣で文部参与官を務める。本名の池崎忠孝で、1929年以降、日米戦争を必然とする立場から盛な著作活動を行なう[1]。戦後にA級戦犯に指定されて巣鴨プリズンに収監される。後に病気のため釈放され、公職追放となり[2] 、そのまま不遇のうちに死去。

著書[編集]

赤木桁平名義
  • 芸術上の理想主義 洛陽堂,1916
  • 夏目漱石 新潮社,1917
  • 近代心の諸象 阿蘭陀書房,1917
  • 人及び思想家としての高山樗牛 新潮社,1918
  • 太子所行讃 大村書店,1921
池崎忠孝名義
  • 米国怖るゝに足らず 先進社, 1929
  • 日本潜水艦 太平洋作戰と潜水艦戰 先進社, 1929
  • 世界を脅威するアメリカニズム 天人社,1930
  • 亡友芥川竜之介への告別 天人社,1930
  • 大英帝国日既に没す 先進社,1931
  • 六割海軍戦ひ得るか 続米国怖るゝに足らず 先進社,1931
  • 満蒙問題の正しき認識 天人社,1931
  • 英米現勢論 米国の勃興と英国の没落 先進社,1932
  • 宿命の日米戦争 先進社,1932
  • 太平洋戦略論 先進社,1932
  • 天才帝国日本の飛騰 新光社,1933
  • 最近軍事問題論攷 大村書店,1936
  • 国防の立場から 昭森社,1936
  • 世界に立つ日本 今日の問題社,1937
  • 英国敢て挑戦するか 第一出版社, 1937
  • 蘇聯を監視せよ 第一出版社, 1937
  • 世界大戦回顧録 第一出版社,1938
  • 新支那論 モダン日本社,1938
  • 新支那と新生活運動 目黒書店,1939
  • 新嘉坡根拠地 英国の極東作戦 第一出版社,1939
  • 日本最近対外政策論攷 第一出版社,1939
  • 日米戰はヾ 太平洋戰爭の理論と實際 新潮社, 1941.2
  • 概説石田三成 岡倉書房,1942
  • 長期戦必勝 新潮社,1942
  • 聖徳太子讃 岡倉書房,1943
  • 世界は斯くして戦へり 駸々堂,1943(池崎忠孝選書)

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 澤田『近代日本人のアメリカ観』後編第3章「池崎忠孝の日米戦争宿命論」。
  2. ^ 総理庁官房監査課編 『公職追放に関する覚書該当者名簿』 日比谷政経会、1949年151頁。NDLJP:1276156 

参考文献[編集]