正田富美子
表示
正田 富美子 | |
---|---|
生誕 |
副島 富美 1909年9月29日 清・上海租界 |
死没 |
1988年5月28日(78歳没) 東京都中央区 聖路加国際病院 |
死因 | 腎不全 |
住居 | 東京都品川区 |
配偶者 | 正田英三郎 |
子供 |
巌(長男) 美智子(長女) 恵美子(次女) 修(次男) |
親 |
副島綱雄(父)[1] 副島アヤ(母)[2] |
親戚 |
今上天皇(孫) 秋篠宮文仁親王(孫) 黒田清子(孫) 愛子内親王(曾孫) 小室眞子(曾孫) 佳子内親王(曾孫) 悠仁親王(曾孫) |
正田 富美子(しょうだ ふみこ、1909年〈明治42年〉9月29日 - 1988年〈昭和63年〉5月28日)は、20世紀の日本人女性。日清製粉社長・正田英三郎の妻。上皇后美智子の母。今上天皇の外祖母に当たる[3]。
生涯
[編集]1909年(明治42年)9月29日、中支那振興の常務理事であった副島綱雄の長女として生まれる。出生時の名前は副島富美。上海の日本人北部小学校に通学をしていた[4]。その後、麹町区の雙葉高等女学校を卒業した[5]。
1929年(昭和4年)の春、19歳のときに後の日清製粉会長となる正田英三郎と結婚した[3]。英三郎との間には2男2女を儲けた。
1959年に長女の美智子は、民間人として初めて皇太子と結婚して皇族となった[3]。
1981年 (昭和56年)に「正田富美」から「正田富美子」に改名した[要出典]。
1988年(昭和63年)5月28日、入院していた聖路加国際病院で腎不全のため死去(満78歳没)[3]。
脚注
[編集]- ^ “皇室と佐賀の関わり 皇后さま曽祖父が県出身”. 佐賀新聞. (2019年10月23日) 2021年1月27日閲覧。
- ^ “平成Climax 勁き声 美智子さまとその時代 第二回”. サンデー毎日(2018年5月6日号). 2021年1月27日閲覧。
- ^ a b c d 沢田浩 (2019年3月31日). “美智子さまの亡き母・正田富美子さんが生前語った「驚きの回想」”. 現代ビジネス 2021年1月27日閲覧。
- ^ 福田和也「美智子皇后 もう一つのルーツ 魔都上海を舞台に展開する意外なコネクション」『文藝春秋』第84巻第5号、文藝春秋、2006年4月、200-207頁。
- ^ “皇太子妃きまる”. 朝日新聞(号外). (1958年11月27日) 2021年11月25日閲覧。