椋神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
椋神社
椋神社
所在地 埼玉県秩父市下吉田7377
位置 北緯36度2分42.38秒
東経139度1分58.54秒
座標: 北緯36度2分42.38秒 東経139度1分58.54秒
主祭神 猿田彦命
社格 式内社(小)、県社(神饌幣帛料供進指定社)
別名 下吉田椋神社
例祭 10月第2日曜日
地図
椋神社の位置(埼玉県内)
椋神社
椋神社
テンプレートを表示

椋神社(むくじんじゃ)は「延喜式神名帳」に掲載された武蔵国秩父郡式内社である。同名社が秩父郡市内に5社を数え、明治政府はいずれの神社にも式内社と称することを許したという。

  • 椋神社(埼玉県秩父市下吉田)
  • 椋神社(埼玉県秩父郡皆野町皆野)
  • 椋神社(埼玉県秩父郡皆野町野巻)
  • 椋神社(埼玉県秩父市蒔田)
  • 椋神社(埼玉県秩父市蒔田)
  • 五所神社(埼玉県秩父市伊古田)…秩父市下吉田の椋神社を分霊したと言われている。

ここでは、埼玉県秩父市下吉田に鎮座する椋神社について記載する。

概要[編集]

旧社格は県社。元は井椋(いくら)五所大明神と号しており「いくらじんじゃ」が本来の呼称である。近世になり地元以外から「むくじんじゃ」と読まれることが多くなり現在の呼称になったという。例祭の際に龍勢を打ち上げる龍勢祭りは有名である。

明治17年(1884年)10月31日、秩父困民党の決起集会が行われた場所でもある。秩父事件120周年を迎えた2004年には、記念作品映画「草の乱」の撮影が行われた。

祭神[編集]

下吉田椋神社

中蒔田椋神社

  • 猿田彦命
    日本武尊が東征の際、光を放った矛に導かれ、井の辺のムクの木陰から猿田彦命が現れ道案内をした。矛を神体として猿田彦命を祀った。

上蒔田椋神社

  • 大己貴命
    日本武尊が東征の際、光を放った矛に導かれ、井の辺のムクの木陰から大己貴命が現れ道案内をした。矛を神体として大己貴命を祀った。

由緒[編集]

社伝によれば、日本武尊が東征の折創建したという。

神殿の造立起源は和銅3年(710年)、多治比真人五斗と荷前を奉ったことという。

社格[編集]

神階[編集]

椋神

  • 貞観13年(871年)11月10日 - 從五位上[1]
  • 永徳2年(1382年) - 從二位

近代社格制度[編集]

椋神社

  • 明治六年 - 郷社
  • 明治15年6月15日 - 県社
  • 大正10年10月4日 - 神饌幣帛料供進神社

摂末社[編集]

一の鳥居左側の境内社

  • 両神神社

本殿左側の境内社の合殿

  • 稲荷神社、菅原神社、白鳥神社

本殿左側の境内社の合殿

  • 神明神社、琴平神社、諏訪神社

本殿左側の境内社

  • 若宮八幡社 - 大正5年11月13日に秩父十郎武綱の館の邸内社を合祀

文化財[編集]

  • 国指定重要無形民俗文化財
    • 秩父吉田の龍勢
  • 秩父市指定有形文化財
    • 椋神社本殿
    • 八幡神社旧本殿
    • 筋かぶと

アクセス[編集]

下吉田椋神社

中蒔田椋神社

上蒔田椋神社

所在地[編集]

  • 埼玉県秩父市下吉田7377
北緯36度2分42.32秒東経139度1分58.52秒
国土地理院 地図閲覧システム 2万5千分1地形図名:皆野

関連項目[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 日本三代実録』《卷二十貞觀十三年(八七一)十一月十日壬午》○十日壬午。雷電。』授武藏國正五位上勳七等秩神從四位下。從五位下椋神從五位上。飛騨國正五位下水無神正五位上。出雲國正五位上湯神。佐往神並從四位下。從五位上能義神。佐草神。揖屋神。女月神。御譯神。阿式神並正五位下。從五位下斐伊神。智伊神。温沼神。越中國從五位下楯桙神並從五位上。

外部リンク[編集]