梱包爆薬

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ワルシャワ蜂起で用いられた梱包爆弾(箱の中の左上隅)
フィンランドの冬戦争で投入された梱包爆薬。右の兵は火炎瓶を装備。

梱包爆薬とは、持ち運び易い量の爆薬を包み、信管をつけて使用する兵器工兵資材として、障害物の破壊などに用いられる。時には敵の掩体壕装甲車両にたいする肉薄攻撃にも使用された。

梱包爆薬は爆破解体に用いられるが、戦闘での使用を構想している。梱包される中身はダイナマイトや、もっと威力のあるC-4プラスチック爆薬のような材料からなり、発火装置つきの、肩掛け鞄やメッセンジャーバッグに類似したものに収納して持ち運ぶ。この梱包爆薬という用語は、正規に開発されたものと、即席に作られた物との両方を示す言葉である。

梱包爆薬は、1936年にフィンランドの司令官カーッロ・トゥルナによって開発された[1]

第二次大戦[編集]

第二次世界大戦では、工兵は、巨大で据え付けられた目標物、例えば鉄道、障害物、防塞、掩蔽壕、洞窟橋梁などの爆破解体のために梱包爆薬を使用した。大戦中のアメリカ陸軍では、8個に分割された高性能爆薬と、2つの信管取り付け器具からなるM37解体機材をキャンバスバッグに収納し、ショルダーストラップによって運んだ。

この梱包爆薬は、一部または全部を目標に設置するか、開口部に放りこむことができた。爆発させるには通常、拉縄(りゅうじょう・信管を点火させる紐)を用いた、対戦車戦闘時には、梱包爆薬は戦車の転輪や履帯などの装軌部分に激しい損傷を与えた。4kgの爆薬は十分に中戦車を破壊できた。

日本軍では対戦車火力の不足から、工兵及び歩兵の肉弾攻撃に頼らざるを得ないことが頻繁にあった。九九式破甲爆雷とならんでよく使用された梱包爆薬は「布団爆弾」と通称されていた。

戦後[編集]

後のアメリカ軍では、M183解体爆薬機材にC-4爆薬9.1kgを収納した。これは時限式信管で使用することができた。イラク戦争における第二次ファルージャ戦では、アメリカ軍は敵に占拠された家屋の一部屋ずつを歩兵で検索掃討するかわりに、M2 20ポンド戦闘用爆薬で家屋を爆破した。

特殊部隊の任務では、特別な目標を破壊するべく改設計された梱包爆薬を使用することもある。

出典[編集]

  1. ^ winterwar.com” (English). 2010年1月28日閲覧。