栗林政頼

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栗林政頼
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 慶長4年(1599年
改名 経平(初名)→長頼→政頼
別名 次(二)郎左衛門
官位 治部少輔長門守肥前守
主君 長尾政景上杉景勝
氏族 栗林氏
父母 父:三本氏、養父:栗林頼忠
正室:栗林頼忠娘

栗林 政頼(くりばやし まさより)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将上杉氏の家臣。

略歴[編集]

上田長尾家の家臣である上田衆の筆頭・栗林頼忠の娘を娶って家督を相続。上杉景勝に仕える。[1]

天正6年(1578年)に御館の乱が起こると景勝に命じられて、義兄弟にあたる深沢利重と共に上田守備を命じられる。上杉景虎に味方する後北条氏の軍が来襲すると、利重や樋口兼一登坂清忠登坂与五郎らと共に北条軍を撃退した。その際、利重と共に自ら出兵しなかった事を景勝から叱責を受けている。翌年の乱収束までに上田から府中の間を転戦した。

天正9年(1581年)、荒砥城に置かれ、肥前守の名を与えられる。以後は主に外務を担当するなど、景勝の重臣として仕えた。天正12年(1584年)には魚沼郡郡司に任命されており、慶長3年(1598年)の会津移封にも従った。

脚注[編集]

  1. ^ 謙信書状において栗林宛書状の敬称が謙信直臣宛の宛名の敬称と明らかに区別されていることから、上杉家家中では「上杉家家臣上田長尾家の家臣」という陪臣として扱われていることが指摘される。

関連作品[編集]