栗林政頼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
 
栗林政頼
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不詳
死没 慶長4年(1599年
改名 経平、長頼、政頼
別名 次(二)郎左衛門、治部少輔、長門守、
肥前守(通称)
主君 長尾政景上杉景勝
氏族 栗林氏
父母 養父:栗林頼忠
栗林頼忠女

栗林 政頼(くりばやし まさより)は、戦国時代の武将。越後上杉氏の家臣。三本氏の子。初名は経平、長頼。通称・次(二)郎左衛門・治部少輔、長門守、肥前守。

上田長尾氏の家臣である上田衆の筆頭栗林頼忠の娘を娶って家督を相続。上杉景勝に仕える。[1]天正6年(1578年)に御館の乱が起こると景勝に命じられて、義兄弟にあたる深沢利重とともに上田守備を命じられる。上杉景虎に味方する北条氏の軍が来襲すると、利重や樋口兼一登坂清忠登坂与五郎らとともに北条軍を撃退した。その際、利重とともに自ら出兵しなかった事を景勝から叱責を受けている。翌年の乱収束までに上田から府中の間を転戦した。

天正9年(1581年)、荒砥城に置かれ、肥前守の名を与えられる。以後は主に外務を担当するなど、景勝の重臣として仕えた。天正12年(1584年)には魚沼郡郡司に任命されており、慶長3年(1598年)の会津移封にも従った。

演じた俳優[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 謙信書状において栗林宛書状の敬称が謙信直臣宛の宛名の敬称と明らかに区別されていることから、上杉家家中では「上杉家家臣上田長尾家の家臣」という陪臣として扱われていることが指摘される。