林洞海

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林 洞海(はやし どうかい、文化10年2月3日1813年3月5日) - 明治28年(1895年2月2日)は、日本の武士蘭方医。幕府奥医師。名は彊。

経歴[編集]

文化10年(1813年)、豊前国小倉藩士、林祖兵衛の三男として生まれる。長崎でオランダ医学を学ぶ。安政5年(1858年)、大槻俊斎伊東玄朴らと図り、お玉が池種痘所設立。

万延元年(1860年)9月13日、小倉藩医より幕府医師に登用され、奥詰医師となる。同日、二の丸製薬所掛。将軍徳川家定の急病に際し、幕府医師に登用されたとするのは日時の誤りである。文久元年(1861年)8月28日、奥医師に進み、同年12月16日、法眼に叙せらる。

明治以降は大阪医学校(大阪大学医学部の前身)校長などを勤めた。明治28年(1895年)没。本郷吉祥寺に葬る。

親族[編集]