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松尾五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松尾 五郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 佐賀県
生年月日 (1915-10-11) 1915年10月11日
没年月日 没年不明
身長
体重
167 cm
60 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1940年
初出場 1940年9月16日
最終出場 1942年10月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

松尾 五郎(まつお ごろう、1915年10月11日 - 没年不明)は、佐賀県出身[1]プロ野球選手外野手)。

来歴・人物

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佐賀商業時代、同期には中島喬阪急)、1学年上に石丸藤吉、3学年下に南里政男名古屋軍)がいる[2]

高校卒業後の1933年満州の大連実業団に参加[2]。このとき大連実業のエースだった谷口五郎から、同郷ということや、同じ“五郎”繋がりで可愛がられたという[3]同年の都市対抗でも中心打者として活躍した[4]。その後兵役により、佐世保重歩兵連隊に入隊[5]

除隊後も同じ大連実業団でプレーしていたが、1940年夏、満洲リーグにより渡満していた松木謙治郎よりタイガース入りを打診される[6]。松木とは大連実業団でチームメイトだったことや、プロ入りに反対していた谷口が北京にいたことなどから、タイガースへの入団を決意[6]。タイガース入団後も主力打者として活躍した。1942年オフに応召され、退団[6]

戦後は、地元に戻り杵島炭鉱に入社。1952年1953年の2年連続で都市対抗野球に出場した[4]

現役引退後は、杵島炭鉱の子会社である扶桑開発[7]に入社[2]1975年の定年まで勤めあげた[2]

選手としての特徴

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1933年の都市対抗では首位打者のタイトルを獲得するなど、打力に優れていた[8]。それはタイガース入団後も変わらず、4番を務めたこともあった[9]

佐賀球場佐世保球場の第1号本塁打を放った選手としても知られている[2][3]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1940 阪神 23746271322019103--0012--07--.210.338.306.644
1941 52169151113423042113--2--16--013--.225.299.278.578
1942 5819116916404305020823--19--015--.237.314.296.610
通算:3年 1334343823487880111411425047--035--.228.312.291.603

背番号

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  • 7(1940年 - 1942年)

脚注

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  1. 『プロ野球人名事典 2003』日外アソシエーツ、2003年。
  2. 1 2 3 4 5 『佐賀スポーツ人国記』佐賀新聞社、1977年、57-94頁。
  3. 1 2 『新プロ野球人国記1』ベースボール・マガジン社、1987年、196頁。
  4. 1 2 『都市対抗野球大会40年史』日本社会人野球協会、1969年。
  5. 『会員名簿 昭和13年』佐賀商業学校同窓会、1938年、87頁。
  6. 1 2 3 松木謙治郎『タイガースの生いたち』恒文社、1973年、229-230頁。
  7. グループ企業一覧 地域みらいグループ”. 2026年3月7日閲覧。
  8. 『日本スポーツ人名辞典』日本スポーツ協会、1933年。
  9. 四番・松尾五郎”. 職業野球!実況中継 (2014年10月8日). 2026年3月7日閲覧。

関連項目

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