東志方村
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ひがししかたむら 東志方村 | |
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廃止日 | 1954年8月1日 |
廃止理由 |
新設合併 志方村、東志方村、西志方村 → 志方町 |
現在の自治体 | 加古川市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 兵庫県 |
郡 | 印南郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
4,176人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 印南郡志方村、西志方村、平荘村、飾磨郡谷内村、加西郡下里村、九会村 |
東志方村役場 | |
所在地 | 兵庫県印南郡東志方村大字細工所 |
座標 | 北緯34度50分02秒 東経134度50分23秒 / 北緯34.834度 東経134.83972度座標: 北緯34度50分02秒 東経134度50分23秒 / 北緯34.834度 東経134.83972度 |
ウィキプロジェクト |
東志方村[1](ひがししかたむら)は、兵庫県印南郡にあった村。現在の加古川市志方町の北東部にあたる。
地理
[編集]- 山岳:城山
- 河川:法華山谷川、西川
歴史
[編集]- 沿革
- 江戸時代は一橋徳川家の領地となった。細工所村に細工所陣屋が置かれ、宮永氏が代官職を世襲した。一橋徳川家が設置した細工所陣屋の代官職であった宮永氏が、明治期・大正期に町会議員を務めた。また、殖産興業としてたばこの栽培などを奨励した。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、細工所村・高畑村・広尾村・岡村・野尻新田村・大沢村・行常村・畑村・雑郷新村・東飯坂村・東中村・大宗村の区域をもって発足。
- 1954年(昭和29年)7月1日 - 志方村・西志方村と合併して志方町が発足。同日東志方村廃止。
人口
[編集]1901年末の戸数、人口は細工所村75戸、415人[2]。大沢村92戸、584人[2]。行常村35戸、242人[2]。畑村79戸、467人[2]。雑郷新村4戸、65人。東飯坂村43戸、282人[2]。東中村33戸、211人[2]。大宗村34戸、193人[2]。高畑村73戸、427人[2]。広尾村129戸、875人[2]。岡村32戸、227人[2]。野尻新田村33戸、213人[2]。
行政・政治
[編集]村長
[編集]村長は以下の通り。
郡会議員
[編集]郡会議員は以下の通り。
- 岸本惣右衛門 - 選挙年月日は1896年7月20日、住所は大宗村[2]。
- 石坂惣七 - 選挙年月日は1897年5月5日、住所は東飯坂村[2]。
- 上野義一 - 選挙年月日は1899年9月30日、1903年同月同日、住所は岡村[2]。
- 宮永浅右衛門 - 選挙年月日は1907年9月30日、住所は細工所村[2]。一橋徳川家の代官職を世襲した宮永家は、加西郡選出の兵庫県議会議員、印南郡選出の郡会議員などを輩出している。
経済
[編集]産業
[編集]1953年に刊行された『市町村別国土総攬 中巻』によれば、米8500石、麦類1866石、甘藷4万千貫、大根2万2千貫、薪材10万石である[1]。
- 商工業
『兵庫県商工人名録 大正3年』によれば、タオル製造業の稗田、酢醸造の稲岡、酒造業の稲岡、白木綿・靴下製造業の宮永、綿商の前田、米穀・肥料・荒物商の小林などがいた[4]。
- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば、東志方村の篤農家は、藤井、藤本などがいた[5]。
- 工場
- 玉田莫大小工場 - 細工所[6]。生産品目は綿沓下[6]。開業年月は1927年11月[6]。
- 藤野莫大小工場 - 行常[6]。生産品目は委託品綿沓下[6]。開業年月は1925年4月[6]。代表者は藤野新次[6]。
- 藤本メリヤス小工場 - 細工所[6]。生産品目は綿沓下[6]。開業年月は1915年11月[6]。代表者は藤本武良[6]。
- 藤本メリヤス小工場 - 細工所[6]。生産品目は綿手袋沓下[6]。開業年月は1922年4月[6]。代表者は藤本和蔵[6]。
地主
[編集]交通
[編集]道路
[編集]現在は旧村域に山陽自動車道の加古川北インターチェンジが所在するが、当時は未開通。
出身人物
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 『市町村別国土総攬 中巻』兵庫県印南郡43頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年3月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『印南郡誌』15、16、83頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年4月27日閲覧。
- ^ a b c 『印南郡誌 後編(兵庫県郷土誌叢刊)』45頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年3月20日閲覧。
- ^ 『兵庫県商工人名録 大正3年』東志方村商工人名11 - 12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年3月19日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』128頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『全国工場通覧 昭和9年9月版』288頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年11月14日閲覧。
- ^ a b 『日本現今人名辞典』ぬ2、た75頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月3日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第6版』ぬ2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年3月20日閲覧。
参考文献
[編集]- 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1900年。
- 『印南郡誌』私立印南郡教育会、1906年。
- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 『兵庫県商工人名録 大正3年』共益社、1914年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 商工省大臣官房統計課編『全国工場通覧 昭和9年9月版』日刊工業新聞社、1934年。
- 『市町村別国土総攬 中巻』日本国土協会、1953年。
- 兵庫県印南郡編纂『印南郡誌 後編(兵庫県郷土誌叢刊)』臨川書店、1985年。
- 『角川日本地名大辞典 28 兵庫県』。