志方町
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| 画像提供依頼:加古川市に編入される前の役場の画像提供をお願いします。(2015年4月) |
| 志方町 しかたちょう | |
|---|---|
| 国 |
|
| 地方 | 近畿地方 |
| 都道府県 | 兵庫県 |
| 自治体 | 加古川市 |
| 旧自治体 | 志方町 |
| 面積 |
39.36km² |
| 世帯数 |
3,817世帯 |
| 総人口 |
10,888人 (推計人口、2013年2月1日現在) |
| 人口密度 |
276.63人/km² |
| 隣接地区 | 東神吉町・西神吉町・加西市・高砂市・姫路市 |
| 加古川市役所志方町市民センター | |
| 北緯34度49分16.5秒 東経134度49分9.6秒 / 北緯34.821250度 東経134.819333度座標: 北緯34度49分16.5秒 東経134度49分9.6秒 / 北緯34.821250度 東経134.819333度 | |
| 所在地 |
〒675-03 兵庫県加古川市志方町1758-3 |
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志方町(しかたちょう)は、兵庫県加古川市北西部の地域である。本項では、かつて存在した印南郡志方町についても述べる。
目次
概要[編集]
志方の名の由来[編集]
神功皇后が三韓征伐に行かれたとき、この地に上陸、今の宮山に上り、たくさんのシカが田野の間の群れあそびのをご覧になって「あなおもしり、鹿田とは名付けまし」と感嘆されたのにちなんで、鹿田と称するようになり、のち鹿田と改め、さらに「志し来りし方」の意味を以て志方になったものといわれている。[3]
地勢[編集]
南東は神吉地区、南西は高砂市、西は姫路市、北は加西市に接している。その地勢は総面積の70%におよぶ山地が北及び東、西の三方向にそびえて南に向かって大きく口を開けた形である。山に囲まれた中央の平地は天神山、宮山、石打山によって東西に分断され、東の平地は帯状にして平坦、遠く加古川の西岸に及び、加古川の支流域と見てよく、西の平地は傾斜のゆるい台地が起伏して神吉平野に続いている。
| 方位および地名 | 距離 | 経度(東経) | 緯度(北緯) |
|---|---|---|---|
| 東端 野尻栗の木峠 | 10.7km | 134度52分44秒 | 34度49分56秒 |
| 西端 原荒神谷川南 | 134度45度58度 | 34度49分21秒 | |
| 南端 横大路小山の西 | 7.4km | 134度48分18秒 | 34度47分47秒 |
| 北端 畑法華口 | 134度49分2秒 | 34度51分48秒 |
- 土地の最高地 - 高御位山(304.2m)
- 土地の最低地 - 横大路大坪南(5m)
歴史[編集]
沿革[編集]
| しかたちょう 志方町 | |||
|---|---|---|---|
| |||
| 廃止日 | 1979年2月1日 | ||
| 廃止理由 |
編入合併 志方町 → 加古川市 | ||
| 現在の自治体 | 加古川市 | ||
| 廃止時点のデータ | |||
| 国 |
| ||
| 地方 | 近畿地方 | ||
| 都道府県 | 兵庫県 | ||
| 郡 | 印南郡 | ||
| 団体コード | 28401-7 | ||
| 面積 | 39.88km2 | ||
| 総人口 |
13,987人 (国勢調査、1975年) | ||
| 隣接自治体 | 姫路市、加古川市、高砂市、加西市 | ||
| 町の木 | マツ | ||
| 町の花 | サツキ | ||
| 志方町役場 | |||
| 所在地 |
〒675-03 兵庫県印南郡志方町志方町1074-1 | ||
| 外部リンク | 未開設 | ||
| ウィキプロジェクト | |||
志方町時代[編集]
- 1954年(昭和29年)8月1日 - 志方村、東志方村、西志方村が合併し志方町発足。
- 1957年(昭和32年)12月31日 - 西出張所(志方町原)廃止。
- 1959年(昭和34年)2月28日 - 東出張所(志方町細工所)廃止。
- 1979年(昭和54年)2月1日 - 加古川市に編入され消滅。
加古川市時代[編集]
行政[編集]
- 町長 - 広瀬義一[2]
町木・町花[編集]
当町の3分の2は山地であり、アカマツ・クロマツの生育地であることから制定された。
当町にツツジが生育していることから制定された。
経済[編集]
農業[編集]
工業[編集]
- 靴下 - 「志方靴下」と呼ばれており、加古川市の靴下製造の歴史は100年以上あり、明治初年に印南郡志方町(現、加古川市志方町)の住民が上海から手廻しの靴下編立機を持ち帰り、製造を始めたことにより靴下の製造が始まった。大正初期に半自動式編立機、さらに1924年(大正13年)には自動編立機が輸入されるなど技術革新が進み、また、1923年(大正12年)の関東大震災による情勢変化などにより、播磨の産地規模は急速に拡大し、東南アジアや中国にも輸出されるようになった。1953年(昭和28年)に兵庫県靴下工業組合(高砂市)が設立された。また、ナイロンを始めとする合成繊維の開発により、設備の近代化、技術水準の高度化が進んでいる。現在、コンピューター編立機や特化した設備で特殊素材の使用へと移行している。東南アジアなどからの輸入の増加に対して、付加価値のある商品開発へ移行している[5][4]。
- タオル
教育機関など[編集]
子ども園[編集]
- しかた幼稚園(しかた子ども園)
小学校[編集]
中学校[編集]
ゆかりの人物[編集]
史跡[編集]
- 面方谷古墳
- 天神山古墳群
- 志方城
- 中道子山城
- 細工所陣屋
寺社[編集]
公共施設[編集]
- 加古川市立志方体育館
- 志方郵便局
- 加古川市役所志方市民センター
イベント[編集]
- コスモスまつり(毎年10月ごろ)
関連項目[編集]
参考書籍[編集]
- 志方町編纂委員会 『志方町誌』 志方町役場、1969年。
- 『志方町勢要覧1975』志方町総務部企画課、志方町、1975年7月、初版第1刷。ISBN 4095263113。