李适

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李适
各種表記
ハングル 이괄
漢字 李适
発音: イ・グァル
日本語読み: り かつ
RR式 I Gwal
MR式 Lee Kwal
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李适(り かつ、イ・グァル、1587年1624年2月14日)は、李氏朝鮮時代の武臣。字は白圭。本貫固城

人物[編集]

宣祖の代に武科に及第し、刑曹佐郎、泰安郡守などを歴任した。1623年、西人派が武力で光海君を倒し、仁祖を擁立し(仁祖反正)、平安道兵使兼副元帥に就任したが誣告を受け、論功行賞に不満を持ったことから、翌年に李适の乱を起こして首都漢城(現ソウル)を占領、宣祖の第10子を国王に擁立した。この時の反乱軍には文禄・慶長の役で降伏した倭虜も多く含まれていた。李适は一か月後に敗れて殺害されたが、反乱軍の一部は後金に逃れて仁祖即位の不当を訴えたため、1627年丁卯胡乱の口実を与えることとなった。

参考文献[編集]

  • 「世界大百科事典」平凡社 2007年
  • 「アジア人物史 第7巻」集英社 2022年