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固城李氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
固城李氏
氏族
朝鮮
領地 固城郡
家祖 李璜
著名な人物 李适李相龍李漢東イ・ピルモイ・ソジン
고성이씨대종회

固城李氏(コソンニし、고성이씨)は、朝鮮氏族の一つ。本貫慶尚南道固城郡である。2015年の調査では88,587人である[1]

固城李氏の始祖は、紀元前108年漢の衛氏朝鮮遠征の際に、衛氏朝鮮を征伐した李槃の24代目の子孫である李璜である。そして李槃は老子(李耳)の子孫だと伝えられる[2]

始祖の李璜は高麗時代の1093年契丹討伐の功で鉄嶺君(固城の別名)に封じられる[2]

行列字

[編集]
  • 挑村公派
○世孫 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39
行列字[3] 선(宣)
춘(春)
증(曾)
득(得)
하(夏)
도(道)
인(寅)
행(行)
종(種) 렬(烈) 기(基) 호(鎬) 한(漢) 모(模) 희(熙) 재(在) 용(鎔) 영(永) 근(根) 연(煙)
  • 護軍公派
○世孫 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39
行列字[3] 혁(爀)
시(時)
재(載)
언(彦)
현(鉉) 원(源) 동(東) 렬(烈) 기(基) 흠(欽)
호(鎬)
영(泳)
영(永)
환(桓)
근(根)
형(炯)
경(炅)
균(均)
규(圭)
강(鋼)
종(鍾)
수(洙)
구(求)
영(榮)
계(桂)
희(熙)
휴(烋)
  • 思庵公派
○世孫 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39
行列字[3] 기(基) 흠(欽) 영(永) 식(植) 병(炳) 규(圭) 진(鎭) 준(準) 동(東) 찬(燦)
  • 参判公派
○世孫 24 25 26 27 28 29 30 31
行列字[3] 주(周)
묵(默)
선(善) 정(庭) 기(基) 종(鍾) 승(承) 희(羲)
동(東)
전(畑)
영(煐)
홍(烘)
렬(烈)
병(炳)
형(衡)
○世孫 32 33 34 35 36 37 38 39
行列字[3] 격(格)
균(均)
배(培)
규(圭)
중(重)
재(載)
주(柱)
모(模)
박(舶)
용(鎔)
석(錫)
진(鎭)
숙(淑)
홍(洪)
유(有)
옥(沃)
하(河)
해(海)
창(槍)
백(栢)
정(楨)
계(桂)
영(榮)
상(相)
훈(勳)
정(炡)
희(熙)
황(煌)
환(煥)
현(炫)
제(堤)
보(堡)
완(琓)
지(址)
준(埈)
은(垠)
련(鍊)
륜(錀)
정(釘)
공(工)
흠(欽)
수(銖)
유(洧)
연(演)
호(浩)
명(銘)
태(泰)
순(淳)

人口分布と集姓村

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人口数、割合はいずれも2015年統計[4]集姓村のある地域は以下の通りである。

脚注

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  1. ^ KOSIS”. kosis.kr. 2022年11月19日閲覧。
  2. ^ a b 스카이데일리, 고대성인 노자(老子) 혈통, 빌딩 3채 수백억 재력”. www.skyedaily.com (2017年6月19日). 2022年11月15日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 이씨(李氏) 본관(本貫) 고성(固城)입니다.”. www.findroot.co.kr. 2022年7月27日閲覧。
  4. ^ 본관분포”. sgis.kostat.go.kr. 2023年2月24日閲覧。

参考文献

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関連項目

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