杉崎弥重郎

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すぎさき やじゅうろう

杉崎 弥重郎
生誕 1922年大正11年
死没 2017年平成29年
住居 千葉県野田市
国籍 日本の旗 日本
職業 実業家
団体 野田クラウン工業株式会社
活動拠点 茨城県坂東市
肩書き 代表取締役社長
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軍歴

大日本帝国陸軍

1942年-1945年

中華民国満州帝国朝鮮
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杉崎 弥重郎(すぎさき やじゅうろう、1922年 - 2017年)は、日本の実業家

経歴[編集]

1922年[注釈 1]千葉県野田町(現野田市)に名門・石屋家業の長男として生まれる。[注釈 2]

1942年ほどなく召集され中国大陸を転戦し、1945年満州で駐屯していた。満州帝国ソビエト軍に侵攻された8月、 奇跡的に朝鮮国境近くにいたことで[注釈 3] 生家へ生還する。

焼け跡の中、復員後に小さな店を興し商売を始め、瓶の王冠を日夜研究[注釈 4]野田クラウン工業株式会社を創業し、代表取締役社長に就任。[注釈 5]チューブペットボトル等の新型キャップの研究開発に努めた。

ガレージから一代で高度成長の波に乗り野田クラウン工業を育て上げた。2017年に逝去(享年95)。

関連項目[編集]

出典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 関東大震災の丁度1年前にあたる。
  2. ^ 同年からは、俳人・河合由男と、水墨画家・栗原勝見の文人墨客校長が出た。
  3. ^ 1945年8月、ソビエト軍の爆撃と中国人暴徒で地獄絵図の中、 いち早く満鉄汽車で朝鮮へ逃れ、さらに日本へ脱出に成功。 シベリア抑留を免れた。
  4. ^ 東京の地主から嫁を迎え、奮闘努力。瓶の王冠を、醤油大手企業野田醤油へ売り込む。
  5. ^ 野田醤油醸造家旦那衆とゴルフで交流があった。アマチュアの非公認自己申告とはいえ、70代でホールインワン達成、80代でエージシュート達成。