朝日町立大谷小学校
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朝日町立大谷小学校 | |
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北緯38度20分35.4秒 東経140度10分20.5秒 / 北緯38.343167度 東経140.172361度座標: 北緯38度20分35.4秒 東経140度10分20.5秒 / 北緯38.343167度 東経140.172361度 | |
過去の名称 |
大谷学校 大谷尋常小学校 大谷尋常高等小学校 大谷村国民学校 大谷村立大谷小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 朝日町 |
設立年月日 | 1873年6月20日 |
創立記念日 | 6月20日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B106232320038 |
所在地 | 〒990-1304 |
山形県西村山郡朝日町大字大谷1147番地 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
朝日町立大谷小学校(あさひちょうりつおおやしょうがっこう)は山形県西村山郡朝日町にある公立小学校。
概要
[編集]大谷小学校は山形県の内陸部、新潟県境に近い朝日町にある。学校の背後(北方)には月山がそびえ、西には遠く朝日連峰を望む。学区内には大谷地区の7集落をはじめ、中沢、真中、舟渡、栗木沢、川通、大暮山、大沼の14集落がある。大江町に隣接している。農村部にあり、兼業農家が多い。かつては大沼と大暮山、川通に大谷小学校の分校が設置されていたが、児童数の減少に伴って本校へ集約することになり、閉校になった。
沿革
[編集]- 1873年(明治6年)6月20日 - 大谷学校創立(大谷永林寺を借り受けて設立)
- 1874年(明治7年)10月5日 - 大沼分校創立(第四番学区大沼分校と称する。最上盛江氏の道場を借り受けて設立)
- 1875年(明治8年) - 村社熊野神社に移転、大沼分校と称する
- 1879年(明治12年)9月 - 大谷学校の前所在地(大谷1472)に新築移転
- 1883年(明治16年)
- 11月16日 - 大暮山(おおぐれやま)分校創立
- 11月21日 大谷学校大沼分校となる
- 1892年(明治25年)10月1日 - 大谷尋常小学校と改称(小学校令実施)
- 1896年(明治29年)4月17日 - 大谷尋常高等小学校と改称
- 1902年(明治35年)11月25日 - 川通分教場(尋常科4年)を新設(2月~3月の冬期間のみ)
- 1940年(昭和15年)11月3日 - 校歌を制定(土井晩翠作詞、橋本國彦作曲)
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 大谷村国民学校と改称(国民学校令実施)
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 大谷村立大谷小学校と改称(学制改革)
- 1954年(昭和29年)11月1日 - 町村合併により朝日町立大谷小学校と改称。朝日町立大谷小学校大沼分校、朝日町立大谷小学校大暮山分校となる。
- 1961年(昭和36年)2月11日 - 新しい校歌を制定(横山美智子作詞、由起しげ子作曲)
- 1966年(昭和41年)3月23日 - 校章制定、校旗樹立
- 1969年(昭和44年)8月15日 - プール落成
- 1992年(平成4年)4月1日 - 川通分校休校
- 1993年(平成5年)4月1日 - 川通分校1年生男子2名入学で再開)
- 1995年(平成7年)3月10日 - 大沼分校新校舎落成式・祝賀会
- 1997年(平成9年)3月8日 - 川通分校が閉校し本校に統合
- 1999年(平成11年)
- 3月22日 - 大暮山分校閉校式
- 8月24日 - 新校舎入校式
- 2009年(平成21年)
- 3月22日 - 大沼分校閉校記念事業
- 4月1日 - 山形県内初の民間出身小学校校長着任
学区
[編集]- 大谷地区(立小路、田中、高木、浦小路、峯檀、東、粧坂)、中沢、真中、舟渡、栗木沢、川通、大暮山、大沼[1]
児童数
[編集]年度 | 男子 | 女子 | 計 |
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2012 | 41 | 37 | 78 |
2011 | 42 | 38 | 80 |
2010 | 46 | 44 | 90 |
2009 | 42 | 47 | 89 |
2008 | 44 | 43 | 87 |
2007 | 45 | 51 | 96 |
2006 | 51 | 56 | 107 |
2005 | 58 | 61 | 119 |
2004 | 59 | 64 | 123 |
2003 | 61 | 70 | 131 |
2002 | 62 | 70 | 132 |
- 各年度の4月1日現在の児童数。2008年度までは大沼分校の児童も含む。
所在地
[編集]- 山形県西村山郡朝日町大字大谷1147番地
卒業後
[編集]- 朝日中学校へ進学する。