有地藤三郎
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有地 藤三郎(ありち とうざぶろう、1878年(明治11年)6月25日[1] - 1964年(昭和39年)1月30日[2][3][注 1])は、大正から昭和前期の海軍軍人、政治家、華族。最終階級は海軍造兵大佐。貴族院男爵議員。
経歴
[編集]海軍士官・有地品之允の三男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1919年(大正8年)4月10日に男爵を襲爵した[1][5]。
1905年(大正4年)東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業し、同年8月、海軍造兵中技士に任官した[2][4][6][7]。海軍技術本部技術会議議員、造兵監督官、佐世保海軍工廠検査官、舞鶴海軍工廠検査官、海軍砲術学校教官、艦政本部第3課長などを歴任[2][4][7]。海軍造兵大佐に進み、1924年(大正13年)予備役に編入された[2][4]。
1925年(大正14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[8][9]、公正会に所属して活動し1939年(昭和14年)7月9日まで2期在任した[2]。その他、鉄道会議議員などを務めた[2][4]。
栄典
[編集]親族
[編集]- 先妻 有地美代子(田中源太郎三女)[1]
- 後妻 有地マサ(遠藤平衛門二女、小松美一郎養女)[1]
- 二男 有地次郎(海軍技術少佐)[1][6]
- 姉 小藤梅子(小藤文次郎夫人)[1]
- 弟 寺島敏三(貴族院男爵議員)・有地十五郎(海軍中将)[1]
- 叔父 梨羽時起(海軍中将)[1]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、58頁では1月31日。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 『日本人名大事典 第1巻』平凡社、1979年(『新撰大人名辞典』(昭和12年刊)の改題複製)。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会編『平成新修旧華族家系大成 上巻』社団法人霞会館、1996年。
- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
- 海軍義済会編、戸高一成監修『日本海軍士官総覧』柏書房、2003年( 『海軍義済会員名簿(昭和十七年七月一日調)』海軍義済会、昭和18年刊の復刻版)。
日本の爵位 | ||
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先代 有地品之允 |
男爵 有地(品之允)家第2代 1919年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |