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新藤恒男

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新藤 恒男(しんどう つねお、1934年6月16日 - 2017年6月15日)は、日本の大蔵官僚銀行家

経歴

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埼玉県所沢市出身[1]1958年東京大学法学部を卒業し、同年に大蔵省に入省[1]主税局調査課に配属[2]1962年6月に理財局国庫課外債第一係長[3]

主計局主計企画官、主計局調査課長、主計局主計官(文部、科学技術、文化担当)、関税局企画課長、主税局税制第二課長などを経て[2]1982年6月に主税局総務課長、1983年6月に関東信越国税局長1985年6月に大阪国税局長1986年6月に大臣官房審議官(銀行局担当)、1987年6月に造幣局長を歴任[1]1988年5月を持って退官し、農林中央金庫専務理事に就任[1]1992年6月に西日本銀行専務に就任し、1995年6月に副頭取を経て、2000年6月に頭取に就任[1]2004年10月には西日本シティ銀行頭取に就任し、2006年6月に特別顧問に就任[1]

2017年6月15日肺炎のために死去[4]。82歳没。

脚注

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  1. ^ a b c d e f 人事興信所 2009, し141頁.
  2. ^ a b 『大蔵省名鑑 昭和62年版』時評社、1986年11月発行、32頁
  3. ^ 『職員録 昭和40年版 上巻』大蔵省印刷局、1964年発行、367頁
  4. ^ 新藤恒男氏が死去 元西日本シティ銀行頭取2017年 6月19日 日本経済新聞

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第45版 上』人事興信所、2009年。 
ビジネス
先代
古賀誠二
西日本シティ銀行頭取
2000年 - 2006年
次代
久保田勇夫