新井晴簡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
新井 晴簡
生誕 1853年6月
兵庫県
死没 1906年5月17日(満53歳没)
所属組織 大日本帝国陸軍の旗 大日本帝国陸軍
軍歴 1873 - 1906
最終階級 陸軍中将
テンプレートを表示

新井 晴簡(あらい せいかん、1853年嘉永6年6月) - 1906年明治39年)5月17日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴[編集]

兵庫県出身。1873年(明治6年)2月、砲兵少尉に任官。のちフランスに留学。

1890年(明治23年)10月、要塞砲兵幹部練習所長代理となり、要塞砲兵第1連隊長、砲兵第2方面本署長を歴任し、1895年(明治28年)1月、砲兵大佐に昇進。

1895年8月、陸軍砲工学校長に就任し、陸軍省人事課長、下関要塞司令官を経て、1898年(明治31年)10月、陸軍少将に進級。

1899年(明治32年)3月、対馬警備隊司令官となり、同年10月、野戦砲兵第1旅団長に異動。1901年(明治34年)6月、二度目の下関要塞司令官に就任し、1905年(明治38年)2月、陸軍中将に進んだ。同年10月、二度目の砲工学校長に就任し、1906年(明治39年)3月12日、予備役となり[1]、同年6月、後備役に編入された。

1907年(明治40年)10月2日、その功績により子息の新井清一男爵の爵位を授爵し華族となった。

栄典・授章・授賞[編集]

位階
勲章等

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第6808号、明治39年3月13日。
  2. ^ 『官報』第368号「叙任」1884年9月17日。
  3. ^ 『官報』第6863号「叙任及辞令」1906年5月18日。
  4. ^ 『官報』第532号「賞勲叙任」1885年4月14日。
  5. ^ 『官報』第3858号・付録「辞令」1896年5月12日。
  6. ^ 『官報』第6865号「叙任及辞令」1906年5月21日。

参考文献[編集]

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。