成公 (魯)

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成公 姫黒肱
第22代公
王朝
在位期間 前591年 - 前573年
都城 曲阜
姓・諱 姫黒肱
諡号 成公
生年 不詳
没年 成公18年8月8日[1]
前573年7月20日
宣公
穆姜
后妃 斉姜
定姒

成公(せいこう)は、春秋時代の第22代君主。名は黒肱。

生涯[編集]

宣公穆姜のあいだの子として生まれた。宣公18年(紀元前591年)、宣公の後を受けて魯国の君主となった。成公元年(紀元前590年)、の侵入に備えて丘甲の制を定めた。成公5年(紀元前586年)、・斉・などの諸侯と蟲牢で同盟した。成公7年(紀元前584年)、晋・斉・宋・衛などの諸侯と馬陵で同盟した。成公9年(紀元前582年)、晋・斉・宋・衛・鄭などの諸侯と蒲で同盟した。成公12年(紀元前579年)、晋の厲公や衛の定公と瑣沢で会合し、との和議を承認した。成公18年(紀元前573年)8月、薨去。子の姫午が後を嗣いだ。

脚注[編集]

  1. ^ 左伝』成公十八年八月己丑条による。

参考文献[編集]

  • 陸峻嶺、林幹合編、『中国歴代各族紀年表』、1982年、台北、木鐸出版社