桓公 (魯)
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| 桓公 姫允 | |
|---|---|
| 魯 | |
| 第15代公 | |
|
| |
| 国名 | 魯 |
| 在位期間 | 前711年 - 前694年 |
| 都城 | 曲阜 |
| 姓・諱 | 姫允、または姫軌 |
| 諡号 | 桓公 |
| 生年 | 不詳 |
| 没年 |
桓公18年4月10日[1] (前694年4月14日) |
| 父 | 恵公 |
| 母 | 仲子 |
| 后妃 | 文姜 |
生涯
[編集]恵公の正夫人の仲子から生まれて、太子に立てられたが、恵公が世を去ったときにはまだ年が幼く、そこで異母兄の姫息姑(魯の隠公)が即位して摂政した。
隠公11年(紀元前712年)に魯の隠公が殺された後、翌桓公元年(紀元前711年)に即位。18年の在位の間、賢臣として知られる公族の臧孫達(臧哀伯。孝公の孫)を登用して魯を治めるが、桓公18年(紀元前694年)に斉国で不慮の死を遂げてしまう。
『春秋左氏伝』の記載によると、桓公が夫人の文姜とともに斉国を訪問したとき、斉の襄公(姜諸児)が文姜と姦通した(文姜は襄公の妹であった)。それを知った桓公は、文姜と襄公を指弾するが、逆に襄公の怒りを買ってしまい、同年夏4月10日、襄公が桓公の馬車に同乗させた公子彭生によって、桓公は車上で暗殺された[2]。これに憤激した魯国が斉国に圧力を加えると、襄公は公子彭生に全責任を押し付けて処刑し、責任を回避した。
家庭
[編集]父:
- 恵公姫弗湟
母:
兄弟:
子女:
紀年
[編集]| 魯桓公 | 元年 | 2年 | 3年 | 4年 | 5年 | 6年 | 7年 | 8年 | 9年 | 10年 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 西暦 | 前711年 | 前710年 | 前709年 | 前708年 | 前707年 | 前706年 | 前705年 | 前704年 | 前703年 | 前702年 |
| 干支 | 庚午 | 辛未 | 壬申 | 癸酉 | 甲戌 | 乙亥 | 丙子 | 丁丑 | 戊寅 | 己卯 |
| 魯桓公 | 11年 | 12年 | 13年 | 14年 | 15年 | 16年 | 17年 | 18年 | ||
| 西暦 | 前701年 | 前700年 | 前699年 | 前698年 | 前697年 | 前696年 | 前695年 | 前694年 | ||
| 干支 | 庚辰 | 辛巳 | 壬午 | 癸未 | 甲申 | 乙酉 | 丙戌 | 丁亥 | ||
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 韓兆琦『新譯史記讀本』、台北、三民書局、2008年2月初版
- 程發軔『春秋人譜』、台北、台湾商務印書館、1995年1月二版