悼公(とうこう、生没年不明)は、春秋時代の曹の君主である。在位は紀元前524年 - 紀元前515年。姓は姫、名は午。
曹の平公の子である。平公5年(紀元前524年)に父の死をうけて曹の君主になった[1]。悼公9年(紀元前515年)に宋に赴いたところ、宋(景公)によって留められ、帰国できなくなった[2]。曹は弟の野を立てて声公とした[2]。悼公は宋で死に、遺体は曹に帰され、そこで葬られた[2]。
左が年長