工正信

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工 正信(たくみ まさのぶ、1963年8月18日 - )は、元競輪選手日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第55期生。現役時代は日本競輪選手会広島支部所属、ホームバンクは広島競輪場。師匠は木村一利(同39期)。

実弟である工義房(次男・第60期生)、工義則(三男・第58期生)も、ともに元競輪選手。

来歴[編集]

広島県立広島商業高等学校では野球部に在籍。二番手投手として、1982年に行われた第64回全国高等学校野球選手権大会に出場し、決勝の徳島県立池田高等学校との試合では2-12で敗れたが、その試合で3回を投げて無失点に抑えた。さらに、同年の国民体育大会では優勝を経験。

高校卒業後、競輪学校第55期生入学試験に技能試験で合格。在校成績は1着34回で13位。

1985年5月2日岸和田競輪場でデビュー(6着)。初勝利は翌3日。

1987年全日本新人王戦で決勝に進出(5着)。

鋭い捲りに加え、強引な位置取りを主張する強気の走法が光り、1989年日本選手権競輪花月園競輪場)で決勝に駒を進め、小川博美に次いで2着に入った一戦をきっかけに、続く高松宮杯競輪大津びわこ競輪場。落車棄権)、全日本選抜競輪前橋競輪場。6着)と、3大会連続で特別競輪(現在のGI)の決勝戦へ進出。これにより、獲得賞金額で同年末に開催予定であったKEIRINグランプリ'89の出場権を獲得した。だが、日本競輪選手会のストライキ行使により同年のKEIRINグランプリは中止となり、その後もKEIRINグランプリには一度も出場を果たせなかった[1]。また、同年の全日本選抜競輪以降、度重なる落車禍が影響し、その後一度もGI、GIIの決勝戦には進出できなかった。最終的に、グレードレースの優勝はGIIIで1回のみであった。

2018年7月よりA級3班に降格。のち競走得点は70点を維持できない状態が続き、最終的に2022年下期をもって代謝制度の対象となり、同年12月28日松山FII(ナイター)初日第4レース(チャレンジ予選)で内圏線踏み切りにより失格したのがラストレースとなった。

2023年1月19日、選手登録消除。通算戦績は3035戦316勝、優勝27回(うちGIII1回)。

脚注[編集]

  1. ^ 同期の郡山久二も同様に、引退するまでKEIRINグランプリ'89以外でKEIRINグランプリには出場できなかった。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]