内田昂輔
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名前 | ||||||
本名 | 山崎 昂輔 | |||||
愛称 | コースケ | |||||
カタカナ | ウチダ コウスケ | |||||
ラテン文字 | UCHIDA Kosuke | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1987年10月2日(37歳) | |||||
出身地 | 京都府京都市 | |||||
身長 | 168cm | |||||
体重 | 63kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF、MF | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
2003-2005 | 滝川第二高校 | |||||
2006-2009 | 立命館大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2010-2011 | 大分トリニータ | 19 | (0) | |||
2012 | FC琉球 | 15 | (1) | |||
2013-2013 | OFKグルバリ・ラダノヴィチ | 13 | (0) | |||
2013 | FKボケリ・コトル | 6 | (0) | |||
2013 | ドイチェランドバーグSC | 20 | (2) | |||
2013-2014 | 京都紫光クラブ | |||||
2014-2015 | ランサーン・ユナイテッド | 29 | (2) | |||
2016 | ブダイヤ・クラブ | 10 | (0) | |||
2016-2017 | ランサーン・ユナイテッド | 15 | (0) | |||
2017 | ペルセラ・ラモンガン | 2 | (2) | |||
2018-2019 | ヤンゴン・ユナイテッドFC | 53 | (8) | |||
2019 | バリト・プトラ | 18 | (1) | |||
2021 | アンコールタイガーFC | 18 | (0) | |||
2022 | デリーFC | |||||
2022 | スデバ・デリーFC | 5 | (0) | |||
通算 | 223 | (16) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
内田 昂輔(うちだ こうすけ、1987年10月2日 - )は京都府京都市出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。本名は山崎 昂輔(やまざき こうすけ)[1] で登録名も一時山崎姓に変更していたが[2]、現在は再び内田姓に戻している[3]。
来歴
[編集]2010年、立命館大学より大分トリニータに加入[4]。元々のポジションは左サイドハーフだが、2010年は大分に同じポジションのキム・ボギョンがいたため、左SBとしてもプレーした。翌2011年は公式戦出場無しに終わり契約満了となり退団。2012年より、FC琉球へ完全移籍[5]。
2013年2月に伊藤健史と共にモンテネグロ・プルヴァ・ツルノゴルスカ・フドバルスカ・リーガのOFKグルバリ・ラダノヴィチに加入した[6]。
同年2部リーグのFKボケリ・コトルにレンタル移籍をしたが、13/14シーズンの開幕を前にオーストリア4部リーグドイチェランドバーグSCへ移籍。しかし、急遽帰国し、同年11月に関西サッカーリーグ2部の京都紫光サッカークラブに移籍。
2016年より、バーレーンのブダイヤクラブに移籍し、同国初の日本人選手となる[7]。
2017年、インドネシア1部のプルセラ・ラモンガンに移籍[8]。
2018年1月、ミャンマーのヤンゴン・ユナイテッドFCに移籍[9]。
2019年8月、インドネシア1部のバリト・プトラに移籍するも[10]、同年限りで退団。その後は所属クラブが決まらずにいた[11]。
2020年12月、2021年シーズンよりカンボジア・シェムリアップ州に本拠地を置くアンコールタイガーFCへの加入が発表された[12]。
2022年はインドの2クラブでプレーし、同年末に現役引退。2023年2月から追手門学院大学サッカー部監督に就任[13]。
所属クラブ
[編集]- 2000年 - 2002年 京都紫光サッカークラブ
- 2003年 - 2005年 滝川第二高等学校
- 2006年 - 2009年 立命館大学
- 2010年 - 2011年 大分トリニータ
- 2012年 FC琉球
- 2013年 - 2013年6月 OFKグルバリ・ラダノヴィチ
- 2013年7月 FKボケリ・コトル(レンタル移籍)
- 2013年7月 - 10月 ドイチェランドバーグSC
- 2013年11月 - 2014年3月 京都紫光サッカークラブ
- 2014年4月 - 2015年 ラオ・ランサーン・イントラFC/ランサーン・ユナイテッドFC
- 2016年 - 2017年 ブダイヤクラブ
- 2017年 ペルセラ・ラモンガン
- 2018年 - 2019年 ヤンゴン・ユナイテッドFC
- 2019年 バリト・プトラ
- 2021年 アンコールタイガーFC
- 2022年3月 - 7月 デリーFC
- 2022年8月 - 12月 スデバ・デリーFC
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2010 | 大分 | 22 | J2 | 19 | 0 | - | 2 | 0 | 21 | 0 | |
2011 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||
2012 | 琉球 | 3 | JFL | 15 | 1 | - | 1 | 0 | 16 | 1 | |
通算 | 日本 | J2 | 19 | 0 | - | 2 | 0 | 21 | 0 | ||
日本 | JFL | 15 | 1 | - | 1 | 0 | 16 | 1 | |||
総通算 | 34 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 37 | 1 |
脚注
[編集]- ^ “https://twitter.com/k22u/status/687961986274062336”. Twitter. 2021年10月19日閲覧。
- ^ “「アウトサイダーの逆襲!東南アジアからACLを狙う内田昂輔の挑戦記 vol.1」”. Qoly. (2018年12月14日)
- ^ “Angkor Tiger FC Official Website”. Angkor Tiger FC Official Website. 2021年10月19日閲覧。
- ^ 立命館大学 内田昂輔選手 新加入内定のお知らせ
- ^ “内田 昂輔選手 FC琉球へ完全移籍のお知らせ”. J's GOALアーカイブ (2012年1月10日). 2018年8月3日閲覧。
- ^ 日本人2選手がモンテネグロ1部のFKグルバリへ移籍 サッカーキング 2013年2月20日
- ^ 内田昂輔 Twitterより
- ^ “試合中の交錯でインドネシアGKが死亡…同僚の元Jリーガー「本当に言葉がありません」”. ゲキサカ. (2017年10月17日) 2018年8月3日閲覧。
- ^ “【アジアで会う】内田(山崎)昂輔さん サッカー選手 第209回 サッカーとともに世界を巡る(ミャンマー) ミャンマー・マクロ・統計・その他経済”. NNA.ASIA. 2021年10月19日閲覧。
- ^ “Selain Pelatih Djanur, Pemain Jepang Kosuke Yamazaki Uchida Juga Dikontrak Barito Putera”. Banjarmasin Post. (2019年8月22日) 2019年10月6日閲覧。
- ^ “kosuke-yamazaki” 2020年3月1日閲覧。
- ^ “2021シーズン【再開】前期は残り2試合!所属選手インタビュー #1 内田昂輔 (1/2)”. Angkor Tiger FC Official Website. 2021年10月19日閲覧。
- ^ 内田昂輔 (2023年7月11日). “報告が遅れてしまいましたが、現役を引退しました!(もう8ヶ月も経ってしまってますが、、)”. 2023年7月13日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 内田昂輔 (@k22u) - X(旧Twitter)
- 内田昂輔オフィシャルブログ - Global Athlete Project
- 内田昂輔 サッカーの旅 - 公式ブログ
- 内田昂輔22のブログ - 公式ブログ(2015年2月より)
- 内田昂輔 - Soccerway.com
- 内田昂輔 - FootballDatabase.eu
- 内田昂輔 - WorldFootball.net
- 内田昂輔 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 内田昂輔 - J.League Data Siteによる選手データ
- 内田昂輔 - TheFinalBall.com
- 内田昂輔 - ゲキサカ