小池大樹
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名前 | ||||||
カタカナ | コイケ ヒロキ | |||||
ラテン文字 | KOIKE Hiroki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1972年8月3日(52歳) | |||||
身長 | 182cm[1] | |||||
体重 | 70kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
ユース | ||||||
1988-1990 | FC町田ユース | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1991-1992 | 読売ジュニオール | 7 | (0) | |||
1992-1995 | ヴェルディ川崎 | 0 | (0) | |||
1996 | コンサドーレ札幌 | |||||
通算 | 7 | (0) | ||||
監督歴 | ||||||
-2008 | FC町田ゼルビアユース | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
小池 大樹(こいけ ひろき、1972年8月3日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。
来歴
[編集]FC町田ユースでは外丸尚人と同期。1990年のクラブユース選手権では準優勝を経験した[2]。
1991年に外丸と共に日本サッカーリーグ2部の読売ジュニオールに加入[3]。1992年2月1日に行われた第18節の富士通戦でデビューをした[4]。
1992年、読売ジュニオールが日本プロサッカーリーグのヴェルディ川崎のサテライトチームとして再編されたことに伴い、同クラブに加入[5]。サテライトでは正キーパーを務めたが[1]、トップチームでの出場機会はなく、1995年限りで退団した[5]。
1996年にジャパンフットボールリーグのコンサドーレ札幌に移籍した。
引退後はサッカー指導者となり、2008年時点ではFC町田ゼルビアユースの監督[6]、2009年から2010年時点ではコーチを務めていた[7][8]。
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1991-92 | 読売Jr | JSL2部 | 7 | 0 | |||||||
1992 | V川崎 | - | J | - | 0 | 0 | |||||
1993 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||||||
1994 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||||||
1995 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||||||
通算 | 日本 | J | 0 | 0 | 0 | 0 | |||||
日本 | JSL2部 | 7 | 0 | ||||||||
総通算 | 7 | 0 |
脚注
[編集]- ^ a b c 「J.League Guide 10チーム全選手写真名鑑」『サッカー・マガジン』 1993年5月22日号別冊付録、ベースボール・マガジン社、20頁。
- ^ 『サッカー・マガジン』 1990年10月号、ベースボール・マガジン社、71-73・218頁頁。
- ^ 日本サッカーリーグ編『日本サッカーリーグ・Year book '91-'92』日本サッカーリーグ、1991年、77頁。
- ^ 「日本サッカーリーグ全史」編集委員会編『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993年、201-215頁。
- ^ a b 『クラブサッカーの始祖鳥 読売クラブ〜ヴェルディの40年』東京ヴェルディフットボールクラブ、2010年、238-241・272-277頁頁。
- ^ “ユースチーム 選手・スタッフ紹介”. FC町田ゼルビア オフィシャルウェブサイト (2008年). 2020年11月28日閲覧。
- ^ “ユースチーム 選手・スタッフ紹介”. FC町田ゼルビア オフィシャルウェブサイト (2009年). 2020年11月28日閲覧。
- ^ “ユースチーム 選手・スタッフ紹介”. FC町田ゼルビア オフィシャルウェブサイト (2010年). 2020年11月28日閲覧。