守れ国体、葬れ邪教
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「守れ国体、葬れ邪教」(まもれこくたい、ほうむれじゃきょう)は、現・大垣市立興文小学校の興文会が1933年に作成した、キリスト教宣教団体美濃ミッション排撃の歌。メロディーは軍歌の「戦友」(此處は御國を何百里)。
全10番から成り、官民一体となった同ミッション排斥運動で用いられた。
歌詞
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富士の霊峰(れいほう)いや高く 激浪吼ゆる太平洋 世界に類なき国体を 護るは我等国民の 桜花(さくらばな)さく日の本の 国に生まれし我らこそ 皇統連綿ゆるぎなく 祖国日本は道の国 起こって国体擁護せよ 神は我等の祖先なり 我が国体の尊厳を 害なう彼らミッションの 血潮漲る憂国の 麋城(びじょう)[1]の健児の力もて 日本魂汚さじと 烽火は天を焦がすなり いざ起て勇士時は今 我市四萬の健児らよ 金鉄溶かす熱血は 我全身ににぢみけり |
」 |
背景
[編集]セディ・リー・ワイドナー宣教師は、岐阜県大垣市で美濃ミッションを創立し、キリスト教主義幼稚園を開始した。美濃ミッションは、聖書信仰、再臨を信じ、偶像を拝まないキリスト教信仰を持っていた。この信仰により美濃ミッションの児童たちは、1929年、大垣市中小学校(現大垣市立興文小学校)で行われた県社常葉神社の参拝と、1933年の伊勢神宮参拝を拒んだ。そのため「国体の尊厳」をおびやかす「邪教」とされ、官民一体となった美濃ミッション排撃運動が起こった。大野伴睦は「市民は合法的に、実力で美濃ミッションを閉鎖せよ」と述べた。煽動された地元民は市中でこの歌を盛んに歌い、美濃ミッションの本部前にも集まって歌った。この事件は大垣に留まらず、新聞報道により全国に知れ渡った。美濃ミッション排撃運動により、美濃ミッションの児童たちは義務教育から締め出され、美濃ミッションの幼稚園は閉鎖に追い込まれた。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「美濃大正新聞」1933年8月8日号(初出、興文会名義で発表)
- 『神社参拝問題の真相』一粒社 1933年12月8日発行(収録)
- 『神社参拝拒否事件記録』(復刻版)美濃ミッション