学園ソング

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学園ソング(がくえんソング)は、1960年代初め(昭和30年代後半)に盛んになった歌謡曲ジャンルの一つである。青春歌謡ということもある。学校での友情や、初恋などの淡い恋愛感情などがテーマで、中学生高校生が学校内で歌っても問題にならないような歌である。

背景[編集]

当時歌謡曲には、ポップス演歌の区別もなく、一括して流行歌と呼ばれていた。しかし、歌詞の内容は、江戸明治期からの「お座敷唄」の血を引く大人の恋愛や、股旅ものと呼ばれるやくざがテーマになったものなどが多かった。あまり健全な内容とはいえず、学校で口ずさんだりすれば、教師に怒られたものである。

しかし、1960年前後に、テレビが一般家庭に普及すると、これをよく視聴したのは子供や若者たちで、それに会わせるように、シャボン玉ホリデー夢であいましょうなどの若者向きの歌謡番組が登場し、健康的で明るい若者向きの唄が次々と作出された。『心の窓に灯(ともしび)を』や『寒い朝』、『こんにちは赤ちゃん』などは、こうした番組から生まれた。

舟木一夫[編集]

しかし、学園ソングの旗頭といえば、詰め襟の学生服と八重歯がトレードマークの舟木一夫である。『高校三年生』、『修学旅行』、『学園広場』、『仲間たち』、『涙の敗戦投手』など、高校生活を主題とした唄を次々にヒットさせた。高校三年生がヒットした1962年は、団塊の世代(当時は「ベビーブーム世代」と呼ばれていた)が中学生だった時代で、今でもこれらの唄をよく記憶している人は多い。

学園ソング・青春歌謡を歌った歌手たち[編集]

美しい十代』をうたった三田明、『女学生』の安達明、『いつでも夢を』の橋幸夫吉永小百合、『青春の城下町』の梶光夫,『若草の丘』の本間千代子、『下町の太陽』の倍賞千恵子、『愛と死をみつめて』の青山和子などがいる。

その後の若者向けの歌謡曲[編集]

1960年代後半になると、グループ・サウンズ加山雄三の登場、マイク真木の『バラが咲いた』を嚆矢とするフォークソングが擡頭し、歌謡曲はすっかり若者たちのものになっていった。一方で、従来の流行歌のテーマを受け継ぐものとして演歌ができ、歌謡曲はポップスと演歌が両立する時代になった。

その他[編集]

歌詞の内容を反映させた青春映画も作られ、歌手が出演することも多かった。また21世紀以降においても、「Z女戦争」(ももいろクローバーZ)のような学園ソングが作られている。