奥田喜一郎
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奥田 喜一郎(おくだ きいちろう、1877年 - 没年不明)は、日本の実業家[1][2][3][4]。
生家は三重県の津で呉服店を営んでいたが、経営悪化により喜一郎は米穀商での丁稚奉公を余儀なくされ、その時期に市場の相場を見る目を養って証券業界へと進んだ[1]。
明治期に奥田証券を津市に創業した[1]。奥田証券は、大正時代には大阪市北浜に拠点を構えるほどの発展を見せ、喜一郎は兵庫県芦屋市に別邸を建て、息子6人を全員大学に進ませた[1]。
孫に、トヨタ自動車元社長の奥田碩、J.フロント リテイリング顧問の奥田務がいる[1]。
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